私の論文の読み方
- Nagashima Kazuhiro
- 7月19日
- 読了時間: 5分
私は論文を読む際、研究結果や著者の結論だけを見るのでは無くて、その結論がどのような条件の下で研究され、どこまで成立するのかを考えるようにしています。
まず、研究者の属性を大まかに調べます。その論文を書いた研究者や所属組織がどのような領域に関心を持ち、特定の治療法や理論を支持しているのかを確認します。
これは、研究者の立場だけで論文を否定するためでは無くて、その立場が、研究対象の選択・介入の定義・分析方法・結論の表現などに影響していないか調べるためです。
特定の治療法や理論を支持していたり、あるいは新しい治療法を開発していた場合などは、人の脳は判断と言った情報処理に対して容易にバイアスが加わるためです。これは、人の情報処理の特性とも言えるので、本来は研究というのは中立の立場で行われることが望ましいのですが、全く中立の立場で行われ、発表される研究論文は、おそらくかなり少ないのでは無いかと思います。
次に、研究対象となった集団が適切か確認します。
研究対象となった標本が、結論を一般化しようとする母集団を適切に代表しているか、という確認です。
システマティックレビューやメタアナリシスであれば、採用された論文だけではなく、その根拠となった一次研究まで、可能な範囲で遡ります。もちろん先に書いたように、一次研究についても研究者の属性をできる限り確認します。
対象者の年齢、病態、重症度、発症からの期間などが大きく異なる研究をひとつにまとめていないか、採用・除外の過程で偏りが生じていないかは確認しておく必要があります。
母集団が偏れば、結論も偏ることになりますからね。
(^_^;)
介入内容を確認します。介入方法についても、療法名だけでは判断ができません。同じ名称でも、研究ごとに実施内容が異なることがあります。
使用された技術や機器、介入時間、反復量、家庭自主練習、治療者の熟練度などに一貫性があるか確認します。
科学的な研究には、同じ条件で追試した場合に、同様の傾向が再現されることが求められます。介入内容が異なる場合にはこうした再現性は望めないですよね。
したがって、介入内容についての確認は重要ですよね。
(^^)/
評価方法が、研究で明らかにしたい現象を本当に捉えているかも重要です。課題を一度遂行できたことと、運動が学習されて生活の中で自動的かつ柔軟に使えることは同じではありません。
短期的な遂行能力だけではなく、効果の保持・未訓練課題への汎化・異なる姿勢や環境への適応・生活場面での実際の使用などが測定されているかを確認します。
ここまで追えている研究は見たことがないのですが、ここが押さえられていないと言うことは、かなり限定した場面での効果判定であると言うことになりますよね。
つまり、効果の有無、程度などは、研究で定義され評価された項目の限られた条件下における結果であると言うことは言うまでもないことですし、その研究結果も汎化して読むことはできないと言うことです。
統計的な有意差と、臨床的に意味のある変化も区別します。有意差がないことは、効果が存在しないことを意味しません。反対に、有意差があっても、その差が臨床的に意味のある大きさとは限りません。また、その効果は研究で設定された限定的な条件の下で確認されたものです。
平均値の背後に、改善した人、変わらなかった人、悪化した人が混在している可能性があることも心に留めておく必要があるでしょう。
そして最後に、研究結果から導かれた著者の結論が、論理的に適切かどうかを確認します。「この実験デザインにおいて比較対象に対する優越性が示されなかった」ということが「効果がない」に置き換えられていないか、限定された対象の結果が、別の疾患や年齢層にまで一般化されていないかなどを見ます。
私が論文を読むときに知りたいのは、論文が何を証明したと主張しているかだけではありません。
この研究から何が言えて、何が言えないのか?
そして、この研究によっても、なお何がわからないのか?
その境界を見つけることが論文を科学的に読むと言うことなのだろうと思います。
そして論文は、その適用範囲と限界を理解することで初めて、臨床における科学的根拠として適切に利用できるものになるはずです。
とはいえ、私も以前からこのように論文を読んでいたわけではありません。
一次研究まで遡る必要性を感じていても、外国語で書かれた論文を読み、引用文献を探し出し、さらに研究内容を確認することは、簡単ではありませんでした。
ネットがなかった時代には、論文そのものを入手することさえ難しく、個人の検索能力には大きな限界がありました。
時間と労力を考えれば、必要だとは思いながらも、十分に検証できないことの方が多かったのです。
しかし、現在はインターネットによって世界中の論文を検索できるようになり、AIによって外国語の読解、研究デザインの整理、統計処理の確認や引用文献の追跡まで支援してもらえるようになりました。
もちろんAIの回答にも誤りはあり、最終的には原著を確認する必要があります。
それでも、以前は一部の研究者や大学に所属する人にしか難しかった検証作業が、臨床家個人の手の届くものになりつつあります。
ネット環境とAIの発達は、単に論文を簡単に要約できるようにしただけではありません。
論文の結論をそのまま受け入れるのではなく、その根拠となったレビューや一次研究まで遡り、自分で論理を確認するための敷居を大きく下げました。
だからこそ、多くの臨床家に試して欲しいと思います。
難しい統計をすべて理解してから始める必要はありません。
「この研究は、実際には誰に何を行い、何を測ったのだろう?そして、その結果から本当にこの結論まで論理的につながるのだろうか?」
と問い、必要に応じて引用元をひとつずつ遡ってみると、それだけでも論文の見え方は大きく変わります。
論文は、専門家から与えられる最終的な答えではありません。
私たち自身が考え、臨床と照らし合わせて、次の問いを生み出すための材料です。
今は、それを誰もが行いやすい時代になり始めているのだと思います。
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