Molecular biomarkers in stroke recovery〜SRRRの提言
Stroke Recovery and Rehabilitation Roundtable
脳卒中回復・リハビリテーション・ラウンドテーブル:SRRR
という国際的な取り組みがあります。
みなさん、SRRRをご存知でしたでしょうか?
僕は知りませんでした。(^^;;
先日、脳卒中の「回復」についてマギ(ChatGPT)と話していました。
ふと、「最近の新しい知見はないか」と尋ねたところ、最近のものではないけれど重要な論文として紹介されたものの中に、SRRRの論文が入っていたのです。
調べてみると、これはなかなか興味深い取り組みでした。
世界各国の脳卒中回復・神経リハビリテーションの研究者、基礎科学者、臨床研究者、統計家、方法論の専門家などが集まり、研究方法、評価法、バイオマーカー、臨床試験の設計などについて国際的な共通基盤を作ろうとしている活動です。
その背景には、「そもそも脳卒中からの回復とは何なのか」という、かなり根本的な問題があります。
2012年、Krakauerらは、脳卒中後にある課題が「できるようになる」ことと、本来の運動パターンそのものが回復することは同じではない、と指摘しました。
課題の成績が改善していても、それが元の運動制御の回復によるものとは限りません。
別の身体部位を使ったり、異なる運動戦略を身につけたりすることで、同じ目的を達成できるようになることもあります。
つまり、
restitution(本来の機能・運動への回復)とcompensation(代償)
を区別する必要があるわけです。
KitagoとKrakauerらも、CIMT後の機能改善について、「正常な運動制御が回復したのか、それとも課題特異的な代償を学習したのか」という問題を取り上げています。
こうした流れを背景として、2016年、フィラデルフィアで第1回Stroke Recovery and Rehabilitation Roundtableが開催されました。
世界各地から約60名の専門家が集まり、翌2017年に一連のコンセンサス論文が発表されています。
ここでSRRRは、かなり重要な指摘をしています。
「rehabilitation」という言葉を、脳卒中後に行われるさまざまな治療や介入をまとめる一括概念として用いること自体が、曖昧であり、研究の進歩を妨げているというのです。
そして、recoveryという言葉についても、単に評価尺度の数字が改善したという「変化」と、その変化を生み出した「機序」を区別しなければならないとしました。
これは非常に重要だと思います。
たとえば、
「Fugl-Meyer Assessmentが10点上がった」
「歩行速度が速くなった」
「ADLが改善した」
これらは、確かに観測された事実です。
しかし、その数字だけでは、
神経学的なrestitutionが起きたのか。
代償によって課題を遂行できるようになったのか。
自然回復なのか。
介入による学習なのか。
脳卒中後に生じる生物学的な回復過程そのものが変化したのか。
までは分かりません。
そこを切り分けないまま、
「○○療法によって脳卒中からの回復が促進された」
と結論づければ、結果から機序への論理的な飛躍が起こる可能性があります。
SRRRが最初の仕事として、わざわざ「recoveryとは何か」「何を測定すべきなのか」という定義の整理から始めたことは、とても示唆的です。
少なくとも当時の脳卒中リハビリテーション研究には、用語、測定対象、介入機序の考え方について、国際的に統一されていない部分がかなり残されていたということでしょう。
実際、SRRRの別の検討では、2015年に発表された脳卒中リハビリテーション研究182報を調査し、介入の理論的根拠や内容、介入が実際にどのように実施されたのかについて、十分に記載されていない研究が多いことも報告されています。
では、このSRRRはどの程度の影響力を持っているのでしょうか。
SRRRはWHOや各国政府のような公的規制機関ではありません。
また、AHA/ASAなどのように正式な診療ガイドラインを発行する学会そのものでもありません。
SRRRは2016年に始まり、その後の国際的な活動の発展を経て、現在は**International Stroke Recovery and Rehabilitation Alliance(ISRRA)**の主要なコンセンサス活動として継続されています。
したがって、その提言に法的拘束力があるわけではありません。
しかし、参加している研究者を見ると、Julie Bernhardt、John Krakauer、Gert Kwakkel、Steven Cramer、Nick Ward、S. Thomas Carmichaelなど、脳卒中回復・神経リハビリテーション研究を長年牽引してきた研究者が多数含まれています。
さらにSRRRの提言は、研究計画や評価法の標準化だけでなく、研究助成側でも参照されるようになっています。
つまり、
脳卒中回復研究の方法論について国際的なコンセンサスを形成し、研究標準を提案する集団としては、この領域の中核の一つ
と考えてよさそうです。
そして2025年には第4回SRRRが開催されました。
その成果の一つとして、2026年8月、
“Molecular biomarkers in stroke recovery: Consensus-based core recommendations from the fourth Stroke Recovery and Rehabilitation Roundtable”
という論文が発表されました。
今回、僕が紹介したいのは、この論文です。

2017年に発表された第1回SRRRのコンセンサスでも、血液・遺伝子バイオマーカーは今後発展させるべき重要課題として挙げられていました。
しかし、この分野は循環器や腫瘍など、他の医学領域と比較するとまだ遅れています。
そこで今回、omicsとstroke recoveryの専門家からなる国際的なチームが、15回のオンライン会議、2回の匿名投票、そして2日間の対面会議を行い、全員の合意が得られるまで勧告を練り上げています。
その中心的な提言は、
大規模・多施設・探索型のomics研究を行い、脳卒中からの回復に関係する分子標的を見つけていこう
というものです。
ここで出てくる「omics(オミクス)」とは、一つの物質だけを見るのではなく、生体内に存在する大量の分子情報を包括的に調べる研究手法です。
さらに、
ゲノムトランスクリプトーム(RNA・遺伝子発現)プロテオーム(タンパク質)メタボローム(代謝物)
など複数のomics情報を組み合わせて解析する「multi-omics」という方向へ研究が進みつつあります。
加えて、miRNA、細胞外小胞、cell-free DNAなどを利用した「液体生検」と呼ばれる新しい方法も注目されています。
つまり、
「回復している人の身体の中では、一体何が起きているのか」
を、これまでよりはるかに広い生物学的視点から調べようとしているわけです。
面白いのは、現在研究されている候補となるバイオマーカーについても、その値が何を意味するのかは、発症後の時間によって変化し得ることを重視していることです。
そのためSRRRは、「何を測ったか」だけでなく、
「いつ測ったのか」
を非常に重要な情報として扱っています。
たとえば同じ患者さんでも、発症1日目と7日目では、炎症、組織障害、修復などの生物学的過程が大きく異なっている可能性があります。
したがって、同じ物質を測定していたとしても、その値が示している生物学的意味まで同じとは限りません。
これはかなり重要な視点だと思います。
アウトカムについても同様です。
どれだけ精密な分子データを集めても、肝心の「回復」を研究ごとにバラバラな方法で測定していれば、研究間の比較ができません。
Fugl-Meyer Assessment、mRS、NIHSSをはじめ、10m歩行、ARAT、MoCA、Stroke Impact Scaleなど、さまざまな評価法があります。
しかし重要なのは、単に評価尺度を統一することだけではありません。
「発症してから何日目に、その評価を行ったのか」
という時間軸も揃えて記録する必要があります。
脳卒中からの回復は、時間とともに変化する生物学的過程だからです。
ですから、この論文は、
「バイオマーカーを測ればリハビリテーションを決められる時代になった」
と言っているわけではありません。
むしろ、
「将来、それを可能にするための研究基盤を、今から作らなければならない」
という提言だと僕は理解しました。
そして、ここからは僕自身の解釈になります。
これまで脳卒中後の神経可塑性は、しばしば
「訓練によって神経回路が変化する」
という枠組みを中心に語られてきました。
しかし実際の脳の回復は、それほど単純ではないはずです。
炎症の状態、神経細胞や軸索の障害、グリアの働き、血管や血流、代謝状態、遺伝子発現など、さまざまな生物学的条件の上で神経可塑性は起こります。
つまり、
「可塑性が起こるかどうか」以前に、「可塑性が起こり得る生物学的状態にあるのか」という問題が存在する
ということです。
今回のSRRR-IVの提言は、少なくとも脳卒中回復研究が、神経回路や行動評価だけを見る研究から、こうした分子・細胞レベルの生物学的状態を含めて回復を理解しようとする方向へ進み始めたことを示しているように思います。
少し強く言うのであれば、
「世界の脳卒中回復研究を牽引する研究者たちが、今後は行動評価や神経回路だけではなく、回復を支えている生物学的状態そのものを調べなければならない、と研究の方向を定め始めた」
ということではないでしょうか。
僕の個人的な印象ですが、今後、脳損傷リハビリテーション研究はこうした方向へ進んでいくと思います。
いえ、僕は、こうならなくてはいけないと思っています。
( ◠‿◠ )
そして、ここまで考えると、もう一つ大きな問題が出てきます。
現在まで行われてきた脳損傷リハビリテーション研究では、生物学的な回復状態の異なる患者さんたちを、同じ「脳卒中患者」という集団として扱っているものが少なくありません。
もし今後、
「この患者は強い炎症状態にある」「この患者は軸索障害が強い」「この患者は代謝・血管修復の状態が異なる」「この時期は可塑性が生じやすい」
といった違いが明らかになってくれば、同じ介入を行っても結果が違うことは当然です。
そうなると、
「○○療法は平均すると何点改善した」
という従来型の介入比較だけでは、十分ではなくなってきます。
当然、それらを統合したメタアナリシスについても同じ問題を抱えることになります。
従来の研究が無意味になるわけではありません。
しかし、それらは、
「患者の生物学的状態を十分に区別できなかった時代の研究」
として位置づけ直され、新しい枠組みから再解釈されていくことになるのではないでしょうか。
僕は、脳損傷リハビリテーション研究が、そうした転換点に近づきつつあるように感じています。



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