Novakと科学の語り得ぬもの
かつて、哲学者のウィトゲンシュタインは、著書である『論理哲学論考』の中に「Wovon man nicht sprechen kann, darüber muss man schweigen.(語り得ぬものには沈黙をしなければならない)」と記しました。
さて。
私は、以前にとある医師の講演で、Novakの2013年のシステマティックレビューが紹介され、Bobath Conceptがレッドライトに分類されて科学的に否定されているとし、エビデンスに基づく別のアプローチ法を採用すべき、といった話をされていたことに疑問を抱きました。
記憶が少し曖昧なのですが、その際に紹介されていたのは、Hand-Arm Bimanual Intensive Training(HABIT)だったかもしれません。
HABITは両手動作を集中的に練習するアプローチで、Novakが開発したものではありませんが、2013年のレビューでは両手動作訓練がグリーンライトに分類されています。
いずれにしても、科学的な評価を根拠として、一方のアプローチが否定され、別のアプローチが推奨されるという話だったわけです。
科学において何かを否定するには、かなり慎重な検証作業が必要とされることを知っていたので、そのシステマティックレビューを検証してみたのです。
その結果、下位研究の中にはいくつか問題のあるものが存在すること、そして下位研究の結論からNovakが導き出したレッドライトという結論の間には、論理的な飛躍が存在していることを指摘しました。
「語り得ぬもの」を語ってはいけないのです。
先日、ふとNovakの最近の研究はどのようになっているのかを確認しようと思い、読んでみたのが以下のナラティブレビューです。
Early intervention in cerebral palsy 1.0–3.0: From passive approaches to precision, context-responsive care
〜脳性麻痺の早期介入を再評価(2026年8月10日)〜
ネットで日本語訳にしてプリントアウトしたものを読んだので、細かなニュアンスは十分理解できていない可能性はあります。(^^;;
このレビューにおいて、ボバース・NDT・ボイタ法について、以下のように説明しています。
「ボバースおよびNDTは、徒手的な姿勢の調整と、『異常な』運動パターンを抑制しながら『正常な』運動を促通することを重視していた。
NFDRは、異常反射を統合することによって運動を生み出すことに重点を置き、ボイタ法では、外部から圧力を加えることで、生得的な運動反応を誘発していた。
これらのアプローチでは、乳児は自ら運動行動を生み出し、洗練させていく能動的な主体というよりも、主として受動的に介入を受ける存在であった。」
まぁ、この時点では、科学的検証のためにそれぞれの方法論の主張を一定の枠に入れる必要があるため、Novak自身が捉えている特徴というものを基準に置いたということなのだろうと思います。
ボバースコンセプトを指導し、実践されている先生方は異論があるはずです。おそらくその他のアプローチ法についても、同様な思いはあるのではないかと思います。
それはともかく。
Novakは彼女なりの、そういった理解の上で、ボバースコンセプトを「Early Intervention 1.0」という旧来の介入群に位置づけ、
運動機能改善の有効性を示す根拠が不足している。
セラピスト主導の受動的な運動が中心だった。
子ども自身の探索や運動学習を十分に促せなかった。
としています。
ただ、面白いのは、2013年にはボバース・NDTについて「効果がない」とする強い評価を示していたのに対して、今回は「有効性を示す根拠が不足している」といった慎重な表現が用いられている点ですね。
ちなみに2013年の論文では、ボバース・NDTについて、正常な運動パターンの獲得や拘縮予防などはレッドライト、活動レベルの機能改善は否定的なイエローライトに分類されていました。
「有効性を示す根拠がない」というのは、効果がないと言っているわけではありません。
効果があるのかないのか、その論文においては明確ではないということです。
この慎重な表現は、彼女なりに成長した部分ではあるのでしょう。
一方、今回のレビューでは、Novak自身も研究開発に関与してきたGoals–Activity–Motor Enrichment(GAME)についても紹介されています。
GAMEは、目標指向型の運動練習、保護者へのコーチング、環境調整などを組み合わせた早期介入プログラムです。
先ほどのHABITとは別のアプローチですが、いずれも運動学習や自発的な活動を重視しているという共通点があります。
このGAMEについては、以下の記載があります。
「GAMEは、経験、豊かな環境、日常生活での練習という原則を具体化したものであり、課題特異的訓練、親へのコーチング、環境調整を組み合わせている。
初期のパイロット研究では、運動能力に臨床的に意味のある改善が示され、その後の試験では、12か月時点で運動能力と認知能力に優れた結果が確認された。」
ところがですね。
大規模RCTでは思ったような結果が出せなかったようです。(^^;;
研究 | 対象者数 | 主な結果 |
Morgan 2015 | 13人 | 運動機能で有意な改善 |
Morgan 2016 | 30人 | 運動機能・認知機能で有意な改善 |
Morgan 2024 | 302人 | PDMS-2で群間有意差なし |
※2024年の大規模RCTについては、2026年のレビューでは学会抄録として報告された結果が引用されています。また、一部のサブグループでは肯定的な結果も報告されています。
こうした結果を受け、Novakは以下の2点などが要因となった可能性を説明しています。
COVID-19(新型コロナ感染症)によって介入の実施に支障が生じた。
初期研究とは異なり、対照群の通常ケアにも運動学習に基づく介入が取り入れられるようになった。
つまり、GAME自身も、大規模RCTでは通常ケアに対する運動機能改善の優位性を明確に示すことができなかったにもかかわらず、NovakはGAMEの効果そのものを否定するのではなく、対象者の特性や対照群の介入内容などを考慮する必要があると解釈しているわけです。
繰り返しになるかもしれませんが、GAMEが通常ケアに対する優位性を示せなかったということは、GAMEに効果がないと言っているわけではありません。
今回の大規模RCTの主要評価項目においては、通常ケアより優れているとは言えなかったということです。
その上で、GAMEについては、さらに対象者の特性や対照群の介入内容を考慮する必要があると言っているわけです。
なんだかおかしいですね。
GAMEの研究結果を解釈する際には、対象者の特性や対照群の介入内容を考慮する。
であるならば、ボバースやボイタ法の研究結果についても、同様の論理を用いるべきなのではないかと思うのですね。
もしくは、GAMEに示した慎重な科学的姿勢を、ボバースやボイタ法などにも適用すべきなのだろうと思うのです。
もちろん、研究の質や比較対象、有効性を示すエビデンスの蓄積が異なれば、推奨度に違いが生じること自体はあり得るでしょう。
しかし、その違いが何によって正当化されるのかは、明確に説明される必要があると思うのです。
私の疑問を整理しますね。
「GAMEでは『わからない』ことを認めて、結果に影響した可能性のある要因を検討する。それなのに、ボバースについては強い否定的推奨を与える。この判断の違いは何によって正当化されるのか。」
ということなのです。
さて。
これからが本当に書きたかったことです。
SRRR(Stroke Recovery and Rehabilitation Roundtable)に代表されるように、現在、脳損傷の回復について、それが本来の運動機能の回復であるのか、代償的な機能獲得に過ぎないのかという議論が起こっています。
当然、脳の器質的な損傷のあるCPについても、こうした見方は一定程度適用されることでしょう。
ただし、CPでは発達過程における運動機能の獲得も対象となるため、脳卒中後の回復と代償という区分を、そのまま当てはめることはできません。
それでも、運動課題が達成できるようになったことと、その背景にある運動制御機能が改善したことは、必ずしも同じではないという問題は共通しています。
つまり、脳損傷に関する回復を計測するメジャー自体が再検討されてきているわけです。
その流れの中で、特定の効果を科学的に示そうとするのであれば、条件設定が非常に重要になります。
NovakがGAMEに対して示したように、対象者の特性、すなわち母集団の設定と、対照群の介入内容を明確にすること。そして、私はGAMEにおけるアプローチ内容、つまり具体的にどのような介入を行ったのかということも、明確にする必要があると思うのですけれど。
どのような対象に対して、どういった手法のどのような手段を、どのくらい用いれば、こうしたこと、例えば歩行スピードや障害物の回避などに関する効果がどの程度見られる、といったことは科学的に言えるとは思います。
しかし、そうした対象や手法・手段、時間などの要素を十分に明示することなく、一般論としてボバースやボイタ法はCPに対して効果がないということは、論理的な飛躍を伴うことになります。
これは、2013年のレビューでグリーンライトとされた両手動作訓練についても同じことだと思います。
どのような対象に、どのような介入を行い、何を測定した結果なのか。
そして、その結果からどこまで一般化できるのか。
そうした条件を明確にする必要があるという点では、どのアプローチにも同じ科学的な原則が適用されるべきなのでしょう。
つまり、Novakが示している研究結果の解釈や、そこからアプローチ法全体に対する推奨を導く論理には、十分に検証すべき問題が残されているということになりますね。
したがって、現状でのNovak論文は、今後の脳損傷リハビリテーションについて、どのように科学的な論理を組み立てるのかといった議論のためには読む価値があると思います。
しかし、彼女が示すアプローチ法の推奨度を、そのまま臨床に用いるために読むことの価値は無いと、私は判断します。
(あくまで私の判断です)
Novakさんがもし臨床をされているのであれば。
例えば、ハサミ足で立位が取りにくい子どもさんが、一生懸命、立とうとしたり歩こうとしたりしているのを見たら、おそらく足を広げるために何かされると思います。
手を支えて立ったり歩いたり。
それは広い意味ではすでにハンドリングです。
立位や歩行のために、必要であれば臥位の練習もするというのは臨床推論であり、興味を引くような課題を選ぶとか、家族への指導、環境調整などは、当然他のアプローチでも行われているはずです。
実際、GAMEの介入方法にも、必要に応じた徒手的な誘導が含まれています。
そうすると、GAMEと他のアプローチは具体的に何が違うのでしょうか。
もちろん、介入の重点や組み合わせには違いがあるのでしょう。
しかし、臨床で行われる具体的な介入内容が重なっているのであれば、その違いを明確にしなければ、それぞれの効果を独立して評価することは難しいはずです。
仮に、NovakさんがGAMEの優位性を証明したいのであれば、GAMEの特異性を明確に定義づけるべきだと思います。
最後になりますが、Novakさんがこの文章を読まれることがあれば、一言だけ、アドバイスを送ろうと思います。
Novakさんが、かつて信号機になぞらえて、アプローチをグリーンライト、イエローライト、レッドライトに分類する試みをされておられたように、研究論文自身も、そうした評価をされる時代に入っているということを、きちんと理解しておくべきです。
いや、研究論文そのものの質を評価する試みは、すでに行われています。
大切なのは、その評価を自分自身が導き出した結論にも、同じ厳しさで適用するということなのでしょう。
それを、科学者であるNovakさんへのアドバイスとして記載しておきます。
Wovon man nicht sprechen kann, darüber muss man schweigen.
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