意識が行動を決定しているというモデルに対する疑問〜受動意識仮説
- Nagashima Kazuhiro
- 6月7日
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2026年6月3日、Neuroscience Newsの記事に“Why the Brain Doesn’t Need Choices to Generate Intent”という論文が紹介されました。
この論文の要約は、次のようなものです。
従来の認知神経科学では、行動は大体次のように説明されてきました。感覚入力→認知的判断・意志決定→運動出力このように、感覚と運動の間に「意思決定」という高次の認知処理が挟まっていると考えるモデルを、記事ではサンドイッチモデルと呼んでいます。Jamesはこの見方に疑問を投げかけます。理由は、脳には感覚処理や運動処理に対する神経機構は明確にある一方で、両者の間に独立した「意思決定センター」のような物が見つからないからです。そこで論文は、「意思決定が行動を引き起こす」のではなく、感覚処理・感覚運動処理・運動処理が同時並行的循環的に相互作用することで、結果として”選択したように見える行動”が生じると考えています。記事ではこれを、意思決定と言うよりも行動選択と呼ぶ方が適切だとしています。つまり、日常語として「私はこれを選んだ・決めた」というのは有用だけれども、それをそのまま脳内に”意思決定という物理的プロセス”が存在するというのは飛躍だという主張です。
要約は以上です。
実は、こうした受動意識仮説というのは、以前から言われていました。私が最初にこうした考え方に触れたのは、ガザニガの書いた「人間とは何か」という本です。この本は、2008年に出版されています。原著で18年近く前のことになります。この本が出る前から、こうした受動意識仮説は言われていたことになります。それが現在において、再度注目を浴びはじめているという事になりますでしょうか。すると、それは何故かという問いが生まれます。その原因というのはいくつか考えることが出来ます。
1.「脳部位機能局在」モデルの限界
かつては「この部位が感情を司る」「ここが運動を起こす」といった機能局在論が脳科学の中心でした。しかし、近年の神経画像技術などの精度が上がり、膨大なデータを処理できるようになり、「複雑な行動は単一の特定の部位ではなく、脳全体に広がる動的なネットワーク活動によっておこなわれている」という事実がわかりはじめました。そこで、サンドイッチモデルのような特定の意思決定部位を想定する古典的な枠組みでは、現在の脳データと矛盾する事例が多くなってきたためではないかという点です。いってみれば、ホーリズムの流れですね。(*^_^*)
2.人工知能とロボティクスの進化
ディープラーニングや自律型ロボットの技術が飛躍的に進んだことで、高度な意思決定をもたなくても、行動選択などが可能になるシステムを実際に設計・構築することが可能になってきている点も、大きくこの流れに影響をしている物と思います。意思決定という司令塔のメカニズムをもたなくても、賢い振る舞いは可能であるという実例を示したわけですから。
3.「複雑系」と「創発」という視点の定着
かつては、全体を理解するために最小単位であるニューロンや部位に分解して考える、要素還元主義が主流でした。しかし、現代では、「複雑系科学」的な視点が浸透してきています。ここはまさしくホーリズムですね。
こういった要因によって、再度こうした意思と云われる概念への注目が集まりつつあるのだろうと思うのです。
受動意識仮説というと、意思を否定されるように感じる人も多く、受け入れがたいところがある様に思います。
脳科学的に受動意識仮説を否定しようとすれば、意識が特定の部位でつくられるにしても広範なネットワークでつくられるにしても、最終的にそれはひとつもしくは少数の行為を生み出す意思情報に収束させて、それを側坐核を含む辺縁系ループに投射されていなければならないことになります。
ところが、そうした部位や経路は、少なくとも現時点では、そのような単純な中枢モデルは見えにくい訳です。
さらに、人の感覚や記憶は、脳にとって都合の良いようにタイミングや順序を変更することが知られています。行動の結果として受動的に顕在化した意識が、あたかも初めからあって、それが行動を決定したという認識はそうした脳の特性によるものだと考えるのが自然なのです。
ですので、少なくとも現在の脳科学においては、受動意識仮説が核心に近いのではないかと考えられるのですけれど。
とはいえ、受け入れにくさというのは、理屈だけではないのでしょうね。(^_^;やはり自分の顕在化される意志が存在していて、それが行動や運動を決定していると感じた方が、生存のために有利なのでしょう。
こうしたことに対して私は、意思という概念の枠組みを変えることで理解しやすく受け入れやすいものに変えることが出来るのでは無いかと思っています。
非意識下の行動選択に関わる部位として、辺縁系ループがあるわけですが、この非意識下の働きも「意思」の概念に入れてしまえば良いのです。非意識下の「意思」が行動選択を起こし、その理由として「意思」が顕在化する。そして、その顕在化した「意思」は記憶され、次の行動選択に「意思」によるバイアスをかける。そう考えると、「意志」の存在価値も否定されず、行動そのものが「意思」によるものであると言えることになりますよね。
つまり、意思とは、その人が生活して来る上で生じた記憶そのものなのです。
(*^_^*)
恐らく、受動意識仮説を否定する論理は今後出てこないと考えています。




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