中東の戦争と平和〜生まれくる子供達のために
- Nagashima Kazuhiro
- 6月24日
- 読了時間: 7分
🌿 中東の戦争と平和を考える
昨今の中東情勢――イスラエルとイランの衝突を巡るニュースが飛び交う中で、私、ちょっと思うのです。
「この戦争は、第三次世界大戦の引き金になるのではないか?」
「この戦争はどうすれば終わるのだろう?」
「何が平和への道筋となりうるのか?」
私は、もう60年も生きてきました。
これからの世界は若い人たちが作るものです。
子供達、そのまた子供達の世代が住みやすい世界を目指すにはどうしたらいいのだろうと思ったりしました。
そして考え始めたのです。
( ◠‿◠ )
まず、結論を先に書きますね。
私が考えたこのイスラエル/イランの紛争を平和へ導くための道筋は以下の通り。
①アメリカが2025/6/23にイランに対して行った、攻撃について謝罪する。
②イランに対しては、イスラム教のジハードという考え方を文化的な理念/概念として捉え直し、実際の行動規範としての利用を行わない様にする。
③イスラエルに対しては、ユダヤ教の選民思想、終末思想といった思想を文化的な理念/概念として捉え直し、実際の行動規範としての利用を行わない様にする。
④その上で、中東の発展に対して、戦争を望まない国々を巻き込んだ形で支援体制を作る
といったことができれば、この戦争は平和的な結末も望めるのではないかと思うのです。
⸻
さて、どの様な思考でその様な結論に至ったのかということですけれど。
まず、イランはもともと親米国家(パーレビ王政権)だったという情報があります。イランは世界有数の石油輸出国家で、当時の米英資本の大きな投資先だったそうです。その際、米国はイランの近代化や軍備増強に積極的に関わっていました。
しかし、イランの中で、その富の配分は権力者に集中した様で、経済格差が拡大する事になります。(今の日本の様ですね。💦)
そして、その経済格差から来ると思われる不満から、パーレビ王政権はシーア派によって「反イスラム的・反国民的な政策」として糾弾される事になり1979年のイラン革命が起こり、現在の形になったものと思います。
元々はイランの内政の問題であったという事にもなるかもしれませんが、アメリカがそういった政治的な不安定性を引き起こした側面もあったわけです。
そして、そのイランが核開発をしているという事で、イスラエルが攻撃を仕掛けたというのが、今回の戦争の発端になるわけですが、なぜイランは核開発を行なっているのかという点が気になりますよね。
🌍 なぜイランは核を持とうとするのか?
イランの核開発は単なる挑発ではなく、イスラエル、そしてその背後にある米国の圧倒的な軍事力に対する抑止力としての側面が大きいのだと考えました。
これは日本がいつでも核兵器を作る事のできる能力を持つという事実に基づく「潜在的核抑止力」を持ちつつも、核を持たない選択をしている姿と、どこか似たものを感じます。
イランにとっても「抑止力」が必要だった――それが私の最初の理解です。
すると、どういった脅威に対して、核を作る必要があると考えたのだろうかという疑問が湧きますよね。
それは、前に書いた歴史から見ると、アメリカに対して宗教(反イスラム)的侵略が起きることや、それによって以前の経済格差の拡大といった貧困化の予測的な脅威を感じているからなのかもしれません。
⸻
⚡ イスラエルの恐怖
一方のイスラエル。
イスラエルに住む多くの民族は、ユダヤ教だろうと思います。ユダヤ教には選民思想がありますが、イスラエルにはパレスチナ人も住んでいるわけです。イスラエル建国の際に故郷を追われるなどのパレスチナ問題というのがありますよね。
パレスチナ人の多くはイスラム教徒だとされています。
イスラエルから見れば、イランがイスラム教の教義から作られた、イスラム憲法にある「イラン・イスラム共和国は抑圧されるすべての人々を支援し、溥儀に反対し、国民の独立性と正義を求めるすべての運動を支持する」という考え方らかパレスチナ人を解放するためにジハードとしてイスラエルを攻撃される可能性を常に考えてしまうのではないかと思うんです。
もしイランが核を持てば、ジハードを正義とする理念のもと、いつ自国に対して破滅的な攻撃が仕掛けられるかわからない。
その恐怖から。
だからこそイスラエルは先制攻撃に踏み切った……と考えるのが自然かと思います。
⸻
🤔 ではパレスチナ人自身は?
パレスチナ人は本当にそのようなジハードを望んでいるのでしょうか?
調べ、考え、思い至ったのは、彼らの多くが本当に望んでいるのは「日々の暮らしの安全と安定」「自らの尊厳」なのだと思います。イラン人も、イスラエル人も、パレスチナ人も私たちと同じ人間ですからね。
戦争や武力闘争は、必ずしも彼らの本音ではないのではないか……と思うのは短絡的すぎますでしょうか?
⸻
🌱 もし平和を目指すなら
宗教観から起きている戦争であるとするならば、それはもう止めようがありません。イスラム教の教義を考えると、おそらく行き着く先は全世界がイスラム教徒になる世界を目指すはずです。であれば、自らが滅ぶか、もしくはイスラム教以外の世界を滅ぼすかの選択肢しかなくなります。
しかし、歴史を考えてみると、必ずしも宗教的な論理からのみ動いてきたのではなくて、富の配分であるとか、そういった政治的な背景も見られる様に思うのです。
であれば、平和的な解決方法も模索できそうな気がしてきませんか?
そこで改めて思うのは、2025/6/23に行われたアメリカのイランへの攻撃の愚かさなのです。
イランからしてみれば、イスラエルやアメリカが侵略をしてくるのを防衛するために核開発をしていたわけですから、イスラエルと、その背後にあるアメリカまでが攻撃を仕掛けてきたとしたら、一層頑なな態度になってしまうのは普通のケンカと同じです。
アメリカの攻撃がイランの態度を硬化させた側面もある以上、まずはアメリカが謝罪すべきです。
それからでないと、平和への道筋は現れてこないのではないかと思います。
その上で、宗教理念は文化的価値として大切にしつつ、武力や現実の行動の理由にしないこと。
そしてイラン・イスラエル・米国・周辺国が、互いの安全と存在を保証し合う多国間の新しい枠組みが必要だと思うのです。
これが私が考えた平和への道筋ではありますけれど。
だけど、トランプ大統領が簡単に謝るとは思えませんよね。💦
宗教的な事に関しても、アメリカがそうした提案をしたとしても、素直に受け入れることはできないと思います。
そこで必要になるのが仲介役です。
本当は、日本はイランと親睦がありますので、仲介役としての役割を担う可能性があるとは思うのですが、現在の石破政権ではそれは絶対無理だと思います。
そこで日本がそういった役割を持つことができないのは残念ではありますが、仲介役として、中立国であるスイスなどが主導し、国連を動かしてそういった枠組みを作っていくのであれば、きっとこうした平和的解決も可能になるのではないかと思います。
多分、具体的には、
• 小さな成功(人道支援や文化施設保護)から始め、
• 包括的枠組みを宣言し、
• 宗教理念の非軍事化を国際原則とし、
• 経済インセンティブを用意し、
• 監視と保証の仕組みをつくる。
といったことが大切になるのでしょうけれど、これ以上考えるのは、私には荷が大きすぎです。
(^^;
まぁ、大切なことは。
多くの大人達が、将来生まれくる子供達のために平和で住みやすい世界を準備したいという思いを共有することなのではないかと思うのです。
歴史や政治などわからないなりに、いろいろ考えてみて、ブログに書こうと思った動機はここにあります。
戦争が終わりますように。

2025/06/24いきなりの当日の追記です
朝4時ぐらいからこの記事を書き上げて、ブログにアップしてからニュースを確認していたら、とてもいいニュースが! トランプ大統領、イランの米軍基地攻撃が、事前通告があったため死者が出なかった事に対して、謝意を表明した様ですね! トランプ大統領、すごい!!
イランとしても、アメリカ大統領の立場を損ねずに謝意を表明しやすい状況を作られたのかもしれません。だとすれば、かなり政治的能力が高い国だという気がします。 なんにしても、停戦に向けた第一歩が始まったのは嬉しいですね! イスラエルとイラン、完全停戦で合意 トランプ氏発表
Comentarios