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逸脱する身体との対話のデザイン

興味深い研究が始まるようです。

以下、サイトからの紹介文です。


”本研究では、重度肢体不自由児や認知症高齢者など、言葉による意思疎通が難しい人々とのケアの場に注目します。こうした場面では、表情、視線、声、触れ方、呼吸、間合いといった、言葉にならないやりとりが重要な意味を持ちます。研究では、それらの微細な相互作用を映像分析や生体反応の計測などによって可視化し、その意味を科学的に捉えるとともに、映像作家とともにアートや実践の視点からも読み解いていきます。

また、本研究の特徴は、子どもの「育ち」と高齢者の「老い」という一見異なるケアの現場を往還しながら、人が人を支える関係に共通する原理を探ろうとしている点にあります。言葉だけに依存しない関わりのあり方を明らかにすることで、当事者の尊厳を支える新しいケアの方法論の構築をめざします。

今後は、研究成果を倫理的なケアモデルや映像教材としてまとめ、医療、福祉、教育などの現場への展開、つまり実証にとどまらず実践を視野に入れています。言葉を超えて人と人がどのようにつながり、支え合うことができるのか。本研究は、その可能性を社会にひらく挑戦でもあります。”


対象こそ、重度肢体不自由児や認知症高齢者を挙げていますが、「言葉だけに依存しない関わりの在り方を明らかにする」ともありますね。

非常に興味深い研究です。


私は受動意識仮説が正しいと考えているのですが、簡単に言うと脳の情報処理システム上に、意識と云われる情報が行動選択を起こすシステムというのはいまだ同定されていないという事と、脳と言うのは外的環境情報と身体内環境情報、そして記憶や情動(意識化されていない快や不快などの感覚)から、非意識下に行動選択を起こすシステムを持っているということ、そして、脳自体が何かしらの行動(情報)を起こした(選択した)際にそれに対して、何かしらの理屈をつけてくるという特性を持っていることから、意識と云うものが行動や情報選択の主体ではなくて、非意識下の行動/情報選択が後になって意識化〜言語化されると考える方が自然だと感じているからなのです。


そうしてこの研究を見ると、「言葉だけに依存しない関わりのありかた」というのは、受動意識仮説による関わりのあり方を可視化するプロセスが如何しても避けては通れなくなると思うのですね。


そうした意味で、この研究は脳科学的に正しい方向を向いていると思うのです。

ただ、それが科学と言える形になるかどうかはこれからなのでしょう。


この研究において、最も難しいであろうと思われる部分は、対象者も非言語的な情報処理をおこなっていて、それからその人の個性を見ようとするわけですが、それを見る観察者もそれらの情報を受け取った際に、非言語的な情報処理が起きていて、それをさらに言語化或いは数値化するというプロセスが必要になってくることなのです。

それは、当然観察者にも観察者を取り巻く外環境があり、観察者自身の個性的な身体内環境情報があって、観察者の経験などによる記憶や情動のバイアスから情報選択が起きたものを言語化や数値化するという事になるので、そのバイアスに気が付かなければならないという事になるのですけれど、そこが結構数値化するのが難しいのでは無いかと思うのですね。(^_^;

それが出来ないと、科学という枠の中に入ることが出来ないわけですから。

それらをどう料理するのか興味津々というところなのです。

(*^_^*)


受動意識仮説と言語の関わりは結構非常に興味深く、かつ一筋縄でいかないものだと思います。

こうして考えてみると、受動意識仮説が正しいとすると質問紙法という手法は脳科学的に捉えると意味が無くなる可能性があったりする気がしますね。


今後、リハビリテーションにおいては受動意識仮説が取り入れられていくものと思います。現在でも、ある意味アフォーダンスは受動意識仮説的な側面を持っているように思います。

受動意識仮説をご存じない方も多いと思うので、あらためて簡単に紹介しておきますね。「人はふつう、「意識して決めたから行動する」と考えがちです。

しかし受動意識仮説では、実際には脳は外界からの情報、身体の状態、過去の記憶、情動などをもとに、まず非意識下で行動や情報の選択を行っていると考えます。

そして私たちが「こうしようと思った」「こう感じた」と意識する内容は、そのあとに脳が了解しやすい形で表出してきたものだと捉えます。

つまり、意識は行動の主人ではなく、すでに起きつつある脳の情報処理を受け取って言語化する側面が強い、という考え方です。」



さて、話は変わりますが、リハビリテーションスタッフには受動意識仮説と言語の関わりを考える上で、どの様に言葉を用いるのかというところに興味を持たれる方もおられるかも知れませんね。

何度も言いますが、受動意識仮説を正しいと仮定した上でリハビリテーションによるセラピストの言語の用い方というのは大きく3つに分けられると考えています。


たぶん、最も広く用いられているのは、患者さんの身体に起きたポジティブな変化を褒める場合ですね。それは、身体や脳の働きの中で、何が変わったからこうした言い変化が起きたのだという理屈を構築して伝達することで、動作が上手くいったとか課題が出来たという報酬と共に、それ以降の行動や情報選択に報酬系の働きから一定のバイアスをかけて繰り返し学習につなげていくという場合ですね。


もう一つは、その場で注意の配分を変えたい場合などです。例えば歩こうとする際に、足を棒のように使ってしまうようなケースにおいて、色々アプローチをおこなった後に立位歩行で足を足らしく使うために足底の感覚が情報処理されていないと感じた場合など、「足の裏の感覚はどう?」とか「足の裏の何処に体重がかかってるか解る?」とか、「足の裏の素材の感じは解る?」とかいう場合です。これらの言語情報はワーキングメモリに保存され、その記憶が注意の配分に一定のバイアスをかけることになります。


最後に少し異論はあるとは思うのですが、特定の課題に対して如何しても非効率的と思われる部分に注意が向きすぎて努力的、代償的運動になりやすい場合、雑談、もしくは他の課題(例えば計算など)を急に提示して見て、注意をそらしてしまう場合です。


まぁ、ほかにも沢山有るかとは思うのですが、私はセラピー中には言語をこうした用いかたで使用することが多いのです。


最後に、受動意識仮説と自由意志と云うものについて書いておきますね。

色々な立場があるとは思いますが、私の考えです。


受動意識仮説の話をすると、自由意志は無いと言っていると勘違いされることが多いのですが、私は自由意志は存在していると思っています。

ただ、意志の定義が異なるだけです。

基底核ループによる非意識下の情報選択こそが自由意志であって、顕在化/言語化されたものは、その自由意志といわれる非意識下の情報処理を了解可能な形に再編成された二次的表現にしかすぎないという風に考えているのです。

したがって、リハビリテーションにおいて受動意識仮説を採用した場合、言語による意思疎通については限界があるという事になるかと思います。

現状でそこを打開するのは直感だと思うのですね。

脳の持つバイアスに気が付かなければならない。しかし、そのバイアスすら含めた脳の統合的な計算結果が『直感』であり、それを信頼することから対話が始まるのだろうという事です。


最初の研究の話に戻りますが、この直感と云われるものを可視化すると云う事になるのだろうと思うのですが、それが非常に興味深いと思うのです。

恐らくオッカムの剃刀で切り捨てられる情報もあるだろうとは思います。

それを含めて、この研究の経過を見ていきたいと思います。

(*^_^*)



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