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逐次プロセスの呪縛

更新日:2021年5月26日

呪縛とは、心理的に人の自由を奪うこと。ここでは、思考の自由度を限定されるという意味で使ってます。

以前の神経生理学とか、人の運動/動作/行為/行動の分析は逐次的な情報処理をモデルに行われていたように思います。

例えば、視覚刺激が入力されて視覚野で解析されながら物体がどのような物でどのような状態か認知されていくとか。

それはそれで一面的には正しいのですが、現在はたとえば認知した物から視覚野の応答が変化することも解っていたりして、脳の構造と機能は逐次的な情報処理をする物ではないということが解っています。

運動と姿勢の関係も逐次プロセスでは説明がつかないものですし、そもそも日常的な適応行動は一つのことだけを行うと言うことはあまり思いつきません。

非常に多くの内的/外的環境情報を同時に並行して処理しながら、処理の結果出た運動出力による環境の変化にも影響されて人の適応行動は成り立っています。

これは逐次的な情報処理によってではなくて、脳の並列分散処理によって実現されていると考えるのが妥当でしょう。


しかしですね、たとえば2003年(比較的最近ですよね)に発表された論文に載っていた図。文脈をぶった切ってこの図だけ持ち出すのは本来、論文を書いた人に大変失礼なことです。ですので、もとの論文の題とかは書きません。論文自体はとても勉強になる内容でした。

ただ、引用されていた図が特徴的であったので出しただけです。


この図は、見事に逐次的なプロセスを解説しています。

図を見ると納得しそうになりますよね。

だけど、この矢印は神経生理学的にはすべて逆にしても成り立つ物だと思います。

運動システムや物体認知システムが視覚、物体の情報入力に影響しますし、意味システム(行為)は常に視覚、聴覚に影響します。

平衡分散処理の中で最も著明にそれが現れるのが今まで言われていた高次脳機能という物です。現在でも失行とか失認とか言う言い方は古典のようになってきつつあるように思いますが、おそらく今後、今まで言われていた失行とか失認という表現はなくなっていくのではないかと思います。

感覚があって認知があるとか、感覚や認知が正常で行為が出来ないとかそういった逐次的な情報処理の理解は(それだけであれば)根本的に間違っています。


すべての感覚や運動や姿勢、行為と行った情報処理は互いに影響をしながら同時並行的に処理され、変化に応じてその処理は常にアップデートされていく。


だけど、逐次プロセスは解りやすいんですよね。

Aが出来たからB。次はCとか。

AもBもCも一緒に分析していくことは多分難しい。

そこが「呪縛」。


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