知識の呪い
― 科学的であることと、科学を信じること ―
みなさん、「知識の呪い(Curse of knowledge)」という認知バイアスをご存知でしょうか?
これは、自分が知っていることを、他の人も当然知っていると思い込んでしまい、その知識を持たない人の立場から物事を考えることが難しくなるというものです。
最近、どうやら私自身が、この「知識の呪い」に陥っていたらしいことに気がつきました。
少し、そのお話をしてみようと思います。
システマティックレビューの信頼性について
最近、脳卒中リハビリテーションに関するシステマティックレビュー(SR)の研究方法を評価した研究に触れる機会がありました。
その研究では、対象となった多くのSRに、方法論上の重大な問題があることが報告されていました。
以前から、いくつかのSRを自分なりに検証してきた経験もあり、こうした問題が存在する可能性は予測していました。
しかし、実際に研究として示されると、やはり興味深いものです。
そこで、ちょっと意地悪なことを考えてみたのですね。
「では、脳卒中治療ガイドラインを作成する際には、こうした方法論上の問題を抱えたSRが、どの程度参考にされているのだろう?」
意地悪ですねぇ。(^^;;
でも、知りたいですよね。
ガイドラインは、医療従事者が治療方針を決める上で重要な資料です。
その根拠となる研究の信頼性がどの程度なのかということは、当然、確認しておく必要があると思うのです。
そこで、関連する文献を調べ、その結果をSNSで紹介してみました。
私が知りたいことなのだから、きっと他にも知りたい人は多いだろうと思ったわけです。
ありがたいことに、結構多くの方に閲覧していただけたようです。
そして、さまざまな反応が返ってくるようになりました。
もちろん、研究の方法論や科学的根拠の信頼性について、関心を持ってくださる方もおられました。
一方で、
「科学的なガイドラインに基づく標準治療が最も優れているのではないか」
「ガイドラインが間違っているのであれば、それを信じてリハビリテーションを行う意欲がなくなる」
「システマティックレビューとは、そもそもこういうものではないのか」
といった趣旨の反応も見られました。
なるほど。
ここで私は、少し考えさせられたのです。
医療科学は、常に限定的で暫定的なもの
私の中では、医療科学によって得られた知識というものは、常に限定的で暫定的なものだと認識しています。
現在、最も妥当だと考えられている治療方法であっても、それが将来にわたって正しいと保証されているわけではありません。
新たな研究によって、それまでの常識が修正されたり、場合によっては否定されたりすることもあります。
例えば、脳卒中リハビリテーションにおける早期離床の歴史を振り返ってみましょう。
かつて、脳卒中の急性期には安静を重視する考え方が広く存在していました。
その後、廃用症候群の予防やADLの改善を目的として、急性期から積極的にリハビリテーションを行うことが推奨されるようになります。
さらに、発症後できるだけ早期に離床を開始することが重要だと考えられ、発症24時間以内の超早期離床についても研究が進められました。
ところが、2015年に発表された大規模臨床試験AVERTでは、発症24時間以内に開始する高用量の離床介入が、通常ケアよりも良好な転帰をもたらすわけではなく、むしろ機能的転帰を悪化させる可能性が示されました。
その後、早期離床については、単純に開始時期を早めればよいということではなく、患者さんの状態、介入の頻度、時間などを考慮する必要があると認識されるようになっています。
つまり、科学の進歩によって、同じ「早期離床」という言葉の中身さえ変化してきたわけです。
ちなみに、私は超早期リハビリテーションが積極的に推奨されていた時代に、そのあり方に疑問を感じていた一人です。
もちろん、それだけが理由ではありませんが、当時の病院におけるリハビリテーションのあり方への疑問は、最終的に私が病院を離れることになった理由の一つでもあります。(^^;;
さて、話を戻しましょう。
さらに近年では、脳卒中リハビリテーションにおいて、もっと根本的な問題も指摘されています。
Stroke Recovery and Rehabilitation Roundtable(SRRR)では、私たちが「回復」と呼んでいるものについて、神経機能そのものの回復と、代償的な運動戦略の獲得を区別して評価することの重要性が議論されています。
例えば、歩行速度が改善したとしても、それが障害された神経機能の回復によるものなのか、新しい代償的な運動方法を獲得した結果なのかは、歩行速度だけでは判断できません。
つまり、治療方法の有効性を議論する以前に、そもそも何をもって「回復」と評価するのかという、科学の土台そのものにも検討すべき問題が残されているのです。
こうして振り返ると、医療科学とは、決して完成された知識の集合ではないことがわかります。
脳卒中リハビリテーションにおける医療科学は、常に限定的で暫定的なものなのです。
大切なことだと思うので、もう一度書いておきました。(^^)
ガイドラインは正解を教えてくれるものなのか?
誤解のないように書いておきますが、私はシステマティックレビューやガイドラインが不要だと考えているわけではありません。
それらは、現時点で利用可能な研究成果を整理し、臨床上の意思決定を支援するための重要な資料です。
特に、個人の経験だけでは判断しにくい治療効果やリスクについて、体系的に検討された研究から学ぶことには大きな意味があります。
しかし、そこで示された結論が、科学的に確定した真実であると考えることには慎重であるべきだと思っています。
そもそも、SRやガイドラインの信頼性は、それらが根拠とする研究の質や、研究結果を統合・評価する方法に左右されます。
研究方法に問題があれば、その結論にも不確実性が生じます。
だからこそ、SRやガイドラインもまた、科学的な検証の対象でなければならないのです。
一方で、ガイドラインに示された推奨を重視すること自体が、科学的に誤っているわけではありません。
その限界や不確実性を理解した上で、現時点で最も妥当な判断材料として利用することは、十分に合理的な姿勢だと思います。
問題は、ガイドラインを参考にすることではなく、そこに書かれていることを、検証する必要のない正解として扱ってしまうことなのではないでしょうか。
私の臨床における科学的な姿勢
では、私はどのようにリハビリテーションを行っているのか。
基本的には、これまで学んできた神経科学、解剖学、生理学、病理学などの知識を総動員して、目の前の患者さんの行動や運動を観察し、分析するところから始めます。
なぜ、この人はこのような動きをするのだろう?
なぜ、この姿勢では動けないのに、別の姿勢では動けるのだろう?
この運動の問題は、筋力の低下によるものなのか、感覚情報の処理によるものなのか、それとも身体と環境との関係性に問題があるのだろうか?
そうした疑問から仮説を立て、実際に介入して、その反応を確認します。
そして、予測した反応が得られなければ、仮説を修正します。
もちろん、その過程では既存の研究成果も参考にします。
しかし、研究で示された平均的な結果が、必ずしも目の前の患者さんにそのまま当てはまるとは限りません。
だからこそ、既存の科学的知見と、患者さんから得られる情報を照らし合わせながら、仮説と検証を繰り返していく必要があると考えています。
つまり、考えながらセラピーを行うということです。
ただし、臨床で観察された変化だけで、自分の仮説が正しかったと証明できるわけではありません。
自然回復や他の要因によって変化が生じた可能性もあります。
その限界を理解した上で、より妥当な説明を探し続けることが、臨床における科学的な姿勢なのだろうと思っています。
そして、そうした臨床での疑問や発見が、新しい研究につながり、医療科学を発展させていくのではないでしょうか。
そして、「知識の呪い」
さて、ようやく本題に戻ります。
私は長い間、こうした考え方で臨床を行ってきました。
科学的な知識は暫定的なものであり、常に検証と修正の対象になる。
科学とは、正しいとされている結論を覚えることではなく、その結論がどのような根拠によって導かれ、どの程度信頼できるのかを考え続ける営みである。
私にとっては、すでに当たり前になっていた考え方です。
そのため、他の医療従事者の方々も、当然そのように考えておられるのだろうと思っていたのですね。
ところが、今回のSNSでのやり取りを通して、必ずしもそうではないことに改めて気づかされました。
もちろん、ガイドラインを重視する人が科学の限界を理解していない、ということではありません。
科学的根拠の捉え方や、臨床において何を重視するかという点で、さまざまな考え方があるということなのでしょう。
そして私は、自分の科学観が他の人にも共有されていると思い込んでいたようなのです。
これこそが、私自身の「知識の呪い」だったのかもしれませんね。
💦
長く考え続けていると、自分がたどり着いた結論が、いつの間にか誰にとっても当たり前のことのように感じられてしまう。
しかし、実際にはそうではない。
今回のやり取りは、そのことを改めて教えてくれました。
少々面倒なやり取りもありましたが、それも含めて、なかなか刺激的な経験でした。(^^;;
最後に
私にとって科学とは、正しい答えを教えてくれるものではなく、今ある答えを疑い、より妥当な説明を探し続けるための方法論です。
そして、目の前の患者さんもまた、既存の科学的知識だけでは十分に説明できないことを、私たちに教えてくれる存在なのだと思っています。
だからこそ、私はこれからも、既存の知識を参考にしながら、それを疑い、考え、検証するという姿勢で臨床を続けていきたいと思っています。
もっとも、こうした私自身の考え方さえ、いつか修正する必要があるのかもしれません。
それもまた、科学なのでしょうね。
(^^)




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