top of page

意識と無意識と目標指向型アプローチ

更新日:2023年7月24日


目標志向的アプローチ、目標があると頑張れるという、まぁそういったお話だとは思うのですけれど。


このブログでは、意思とは、行動の後に後付けされる行動の「意味」だといった話題を取り上げてきています。

簡単におさらいをしておきます。


意識の研究において、近年良く取り上げられてるのがアメリカの心理学者、ベンジャミン・リベットが提唱していた「受動意識仮説」というものです。

受動意識仮説というのは、簡単に言えば、私たちの意識や思考というものは、脳内で自動的(非意識下)に起きる情報処理の結果を受けて意識が作られるというものです。

簡単に言えば、私たちの行動や運動は、脳が非意識下の情報処理を行うことで選択されていて、その選択結果の情報を受けて意識が生成され、あたかも意識がそういった行動をコントロールしているかのように感じさせていると言うことです。

この結論に至るまでは様々な実験が行われています。それぞれの実験の是非については、やはり現代には様々な議論があるのだろうとは思います。

しかし、現在に至ってもそれを裏付けるような実験結果も出てきているのも事実です。


意識というのは、部下(脳の大部分の皮質領域)の仕事(情報処理)の結果をすべて自分が行ったという風に考えている上司のようなものというと解りやすいでしょうか?(^_^;)

厄介そうな上司ですね・・・。


だけど、意識が生まれることで、情報処理に一定のバイアスを加えたものを記憶していき、適応困難な環境に対して適応しようとするときなどに、その記憶されたものを元に脳の情報処理にバイアスを与えることができるので、役には立つと思うのですけれど。


脳の構造を考えてみます。

例えば、ペンフィールドの実験があります。脳の一次運動野を部分的に電気刺激して、動きの反応を見るのですが、この動きには意識は関与していませんよね。電気刺激が入ると、意識の制御では無く、自動的に動く部分があるわけです。これを利用してホムンクルスという小人のマップを作ったのですけれど。この実験を「意識」の観点から言えば、一次運動野は意識を生成するところでは無いと言えます。

こういった意識とは無関係に情報処理をしているところを、哲学的ゾンビ領域(意識を持たないが情報処理が起きていると言うことを指していると思ってください)と呼んでみます。

考えてみると、小脳は哲学的ゾンビ領域と言えそうですよね。

では、他のパーツはどうでしょう?

側頭頭頂連合野は、ボディスキーマを生成しますが、ボディスキーマは非意識下の情報処理と考えられますので、やはり哲学的ゾンビ領域と言えそうです。

高次運動野も基本的には無意識下の制御だと考えています。例えば、前補足運動野・補足運動野は身体の位置と外的な環境の被殻によると思われますが物体に対して左右どちらの手を使用するのかと言った情報処理に関わりますが、左右の手をどのように使うのかと言ったことはそもそも意識しないわけですので意識とは関係なさそうですよね。ということで、ここもゾンビ領域と考えます。

基底核なども、自動的に処理をしているのでゾンビ領域・・・こうやって考えていくと大脳皮質の多くの領域はゾンビ領域、つまり意識の生成に関与していない、あるいはあまり関与していないと言えそうです。

臨床的にも、それらの領域の損傷で、意識がなくなるかというとそういうことは無く、むしろ「動かそうと思っても(意識しても)動かない」と言ったことが起きているわけです。

では意識とはどのように生まれるのかと言ったことについて、認知神経学者のガザニガは脳によって選択された情報が左脳の特定の領域~おそらく言語に関わる領域に運ばれたときに生成されるのでは無いかと考えているようです。

私はこの意見に賛同しています。

ということになると、現在、新しいホムンクルスの図に提示されている、エフェクター間領域が、弁蓋部に接続しているというのは非常に興味深い実験結果ではあるのですが、それならばペンフィールドの実験の際に意識も起きたのでは無いか~つまり、電気刺激によって、人が自ら手(などの特定の部位)を動かそうとして動かしたという表現があっても良かったのでは無いかとは思ったりもします。同時に、そういった表現があったとしても、実験中のペンフィールド自身のバイアスによってそれが打ち消されたと言うことも考えられるかとは思うのですけれど。




さて、こういった視点から、「目標とは何か」と考えると、まぁ、通常目標を持ってそれが行動や運動を制御することは無いと言えそうですよね。

本来、その目標自体、無意識下に選択されたものであるはずなのです。もちろん、それは目標と言われた事柄に対する記憶というものが無意識下の情報選択において情報処理に一定のバイアスを与えているとは考えることができますが、それさえも無意識下の情報処理であるはずなのです。

とすると、目標も行動も運動も、無意識下で生成するという状況が通常の脳の情報処理なのでは無いかと思うのですね。


とすればですよ。

目標を提示し、共有することより、患者さん自身が行為の目標を作ることの方が大切だという理屈にはなりそうですよね。

簡単に言えば、

「右手でコップを持てるようにしましょう」では無くて、患者さんが、なんとなく右手でコップを持ってみたくなるといった反応がどうやったら出るのかとか。

「100メートル歩けるようになりましょう」ではなく、患者さんが100メートル先に何かを見つけたとき、そこまで歩いて行こうとしてみたくなるような、難しそうですけれど、そういったことの方が目標を自ら生成して行動や運動を起こしていただけるわけで、学習につながりそうですよね。

あ、これは患者さんとの目標を一致させるといった場面でのお話で、医師や関連する医療スタッフでどのように考えて何をしているのかと言った認識は共有する必要はありますよね。ま、それは言うまでも無いことなのかも知れませんけれど。


まぁ、そんなことを考えているのです。


難しそうですけれどね。


だけど、乳児から一定の年齢になるまでの脳性小児麻痺などのアプローチなどは、そういったことの方が大事になってきたりするので、成人脳損傷でもそういった展開を考えていきたいなぁなどと思うわけです。


やっぱり難しそうだけれど・・・

だけどやっぱり考えた方が良いと思います。

(*´▽`*)


閲覧数:46回0件のコメント

最新記事

すべて表示
bottom of page