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医療保険内と保険外でのリハビリテーションの違い

先日、動画ライブがあって、セラピストが医療保険内のリハビリテーションと保険外リハビリの違いというテーマで話をしていたんですね。面白かった。


今までも書いたのですが、医療保険内に於いては、保険点数という報酬を支払うために、一定の基準を設ける必要があって、基準のためにはリハビリテーションを「コウコウこういったものです」と言った定義する必要があるのです。

その定義によって基準を作っていくことになります。その基準が、まぁ、FIMであったりとかその他の病院や施設で用いられる評価と云われるものと言うことになります。


rehabilitationの語源は、ラテン語のrehabilisと言われています。

re-は、ふたたびと云う意味ですね。habilisはというと、持てる、行う能力を持っている、相応しい等の意味を持ちます。

そのままの意味を捉えようとするのであれば、再び持てる、再び行う能力となる、再び相応しい状態になると言ったところでしょうか。

本来のリハビリテーションの意味は非常に広いようですね。

ですので、ご存じの通り、1431年に魔女であるとして火あぶりにされたジャンヌダルクが、1456年のローマ法王の「ジャンヌダルクは無実である」とした裁判が、リハビリテーション裁判と言われるように、名誉の回復などもリハビリテーションの意味に入るものなのです。


こんな広い概念を医療保険下で運用しようとすれば、何でもかんでも医療保険から捻出することになりますよね。

やっぱり医療保険下で運用する際はリハビリテーションの定義、定義による基準を造っておくことは必用なのです。


リハビリとは生活の再建であるとか言われることもありますが、それは医療保険下で成立する論理です。


広い意味から言えば、生活の再建はリハビリテーションの大切な要素のひとつにしか過ぎず、他にも様々な要素があるのです。

当然ではありますが、機能回復もその要素の中のひとつです。


生活が自分で出来る様になるという事はとっても大切なのですが、同時に人には様々な思いがあるものです。


若い方であれば、もっと普通に歩いて異性にモテたいとか。美味しいけど入り口の狭い焼き肉屋さんに入って、ビールを片手にシマチョウを焼いて食べたいとか。小さな赤ちゃんを持つお母さんであれば、両手で抱きしめてやりたいとか。子供と一緒に駆けっこしたいとか。庭でしゃがんで盆栽を楽しみたいとか。バイクにもう一度乗りたいとか。子供の卒業式に綺麗に歩いて出てやりたいとか。マチュピチュ行きたいとか。


人によって色々な想いはもたれているはずなのです。


それらは、その人が考えるその人の周囲の環境に対するその人なりの適応行動であって、それが実現できないという事になると環境に対する適応が困難であると感じる事になりますね。


そういった想いに答えようとするのも、リハビリテーションと云えます。

ただ、医療保険下では出来ないですよね。

そういった事をやろうとしている医療施設はありますけれど、メジャーではないですよね。


人の思いは多様性があるのです。個々にも違うし、個人の中でも時間や環境で変化したりします。そういった多様性に答えることの出来る身体をどの様に作り上げることが出来るのかというアプローチやその結果がリハビリテーションという定義も可能だと思うのですね。


綺麗に歩いて異性にモテようとする権利、焼き肉屋さんでシマチョウをビールで流し込む権利、自分の赤ちゃんを両手で抱きしめることが出来る権利、子供と駆けっこをする権利、庭でしゃがんで盆栽をする権利、バイクに乗る権利、子供の卒業式に綺麗に歩いて出ることが出来る権利、マチュピチュ行くことが出来る権利・・・その他多様な権利は存在します。

それを本気で望んだら出来るかも知れないと感じる権利もありますでしょう。


その人がその人らしく生きるとかは、そういう事なのではないでしょうか?


何度も書きますが、そういった事は、医療保険下のリハビリテーションではアプローチや実現が困難です。元々リハビリテーションの定義が違うのです。定義が違えば、リハビリテーションの質や基準も異なります。当然ですが、用いられる科学的根拠やアプローチの作法も異なることになります。

作法のひとつである評価や検査も同様に捉えることが出来ます。FIMなどはADLを分解してわかりやすくしてはいますが、FIMがADLのすべてを表しているかというとそうではありません。以前にも書きましたが、全体は部分の総和以上なのです。

従って、FIMは医療保険下において、例えばリハビリテーションは生活の再建であると言った概念の元に、ひとつの指標としてFIMの改善度をADLの改善と見做すという了解の元に効力を発揮するものであって、その医療保険下で行われるリハビリテーションという枠を取り外してしまうとFIMはADLの部分を表しているものであって、ADLのすべてではないという事になってしまうのです。他の検査も同様です。


私が以前から医療保険下のリハビリテーションと保険外のリハビリテーションはルールが違うのだと言う様なことを言ったり書いたりしていますが、こういうことなのです。



蛇足です。

この、”リハビリテーション”という言葉、それに付随する”治療”とか”回復”という言葉は、医療を連想させるため、或いは医療で用いられている言葉のため、自費リハに於いては使用が出来ないとされていたりします。

そこで自費リハでは、”リハビリ”、”改善”と言った言葉を用います。”治療”という言葉は使用できなかったりします。

これは、医療保険の呪縛です。言葉遊びの様なものなのです。

馬鹿馬鹿しいなぁと思ってはいます。まぁ、私は従っていますよ。(^_^;)

今回は、リハビリテーションという言葉のお話ですので、結構使いましたけれど。


あ、それから、あのライブに出た人しか解らない話題をもうひとつだけ。

繰り返しの学習は、ヘブ則によって説明が可能です。

しかし、ライブで少し話題に上った様に、それだけでは無い部分もあります。

ほら、楽しいこととか、ビックリしたりした時のこと、何か情動が強く働いた時の運動や記憶は繰り返しなしでも学習されることは一般的に皆さんご経験があると思います。

これは、塚田の言う時空間学習則(①シナプス後細胞の発火なしに起きる連合可塑性と②その時間相関による加重による学習)によって説明が可能だと思います。

運動学習をこの2つの側面からアプローチを考えて行くのは大切だと私も思います。




沖縄行った時のお土産物屋さん。

沈黙の3万円も、まぁ、インパクト在りましたが、ハブ酒はオッと思いましたね。(*^_^*)

沖縄というと、このハブ酒の画像が頭にうかびます。

時空間学習則・・・チョットチガウカ?

(^_^;)







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