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希望と運動機能

更新日:1月9日

希望というのは、未来に望みをかけることです。


先日、発症後10年以上経過した方がご利用になりました。

とある医療施設で外来リハビリテーションを併用されていたのですが、そこの院長である整形外科医会の診察が在り、「もうリハビリテーションを行っても良くならないから外来を辞めよう」と言った提案があったようです。

憤慨されておられました。

まぁ、そうでしょうね。

「セラピースペースながしま」をご利用の際は、1回ごとになにかしらの変化を感じていただけていますので、自分の体の動き〜脳の働きが変化するのは実感されておられるわけですから。

一応、多くの整形外科医は脳の可塑性を含むリハビリテーションの事なんて知らない人ばかりだから気にしなくて良いとお話をしておきました。

(そうでは無い整形外科医も当然おられますけれど、私の以前の職場で出会った整形外科医はだいたい殆ど脳に関わるリハビリテーションについては無知と言って良いレベルでしたので(^^;)


絶望実験という実験があります。


ネズミを水に入れて溺れさせます。

すると、ネズミは一生懸命泳ぐのですが平均15分でネズミは沈んで死んでしまいます。

そこで、次にネズミを水に入れ、沈みかけた際に一度助けます。

こうして助けられたネズミは、平均60時間の間泳ぎ続けたそうです。

原著を読んでいないので確認の必要はあるのではありますが、ネットで探してみるとこういった実験だったようです。


このことは、希望と言われる様な「情動」(といって良いのかどうかは議論が必用ではありますけれど)が生存機能に関わる運動機能を促通しているという表現が可能かと思います。

そして、ここで云う希望とは、生存ができたという経験とその記憶、それらによる将来の生存への予測です。


脳損傷の脳の可塑性に基づいた機能回復にも、こういった希望というのは必用だとは思うのです。


リハビリテーションに関わる医師が「希望」を奪おうとしてどうする?何がしたい?

と、素朴な疑問を抱いたのですが、まぁ考えてみれば現行の医療保険下においては収入源として弱いからという理由があるのでしょうね。医療施設も倒産するわけにはいきませんからね。


さて、話を変えます。

能登半島地震。被災された方、どの様な言葉をかけて良いのか解りません。もう一所懸命頑張って生きておられる方々に、被災していない私が頑張れとか頑張って欲しいと云うのも少し違う感じがします。

だから、かける言葉に困ってしまうと云うのが私の状況ではあります。

だからといって、黙り込むのも違う感じがしますし。

なんとか、少しでも早く,僅かであっても、今より幸せだと思える様な状況になって欲しいと願っています。

どうか、希望を見つけて欲しいと思います。

難しいとは思うのです。だけど、なんとか希望を見つけて欲しいと願っています。

希望が動きを支え、動くことが環境を変えることにつながっていくはずなのです。


今、どんなに辛くても苦しくても悲しくても厭になっていたとしても、そう感じる要因に寒さや栄養状態や排泄、睡眠などがあります。それらがきちんと出来る様な環境になれば、必ずそういったネガティブな情動も改善していくはずなのです。


明日に希望を繋いで欲しいと思います。

何でも良いのです。自衛隊が支援に来るとか、募金が集まってるから今を凌げばなんとかなるとか、1ヶ月後は今よりあたたかになるとか。何でも良いのです。

なんとか、希望を繋いで欲しいと思います。


こう言って良いのかどうか解りませんけれど。


頑張って!



どんなに厚い雲に覆われていたとしても、雲の上には必ず太陽が見えるはずなのです。




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