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優しい受動意識仮説

更新日:3 分前

リハビリテーションにおいて、割と患者さん本人の「意欲・やる気」が問題視されることがあるのです。

「意欲・やる気」というのは「意思」ですよね。

意思が問題だとすると、それを解決するのは基本的に本人に任せるしかない訳です。


さて、こうした意思というものに対して、本当に「意思」というものが存在していて、それがさまざまな行動を決定しているのでしょうか?

そうした疑問への答えとなるひとつの仮説が「受動意識仮説」です。

これは自由意志というものはないとする立場です。

確かに脳科学的には、意思を決定する座というものは発見されていません。

さらに、現在知られているさまざまな脳の中の回路は、環境情報と身体情報を元に自動的に最も報酬が期待できる行動を選択するシステムを構築していることが知られている訳です。


唐突にこう言われても、戸惑われる人も多いかも知れません。

ちょっとわかりやすく例をあげてみますね。


例えば、あなたは午前中のお仕事も大体かたついて、お腹が空いてきたので、カツカレーを食べようと決めたとしますね。

カツカレー美味しいですよね。私は、時折どうしてもカツカレーが食べたくなって、安来駅の近くにある男の暖簾というお店でカツカレーを食べます。

カツカレー。

で、この話だけを見ると、カツカレーを食べるという意思でカツカレーを食べに男の暖簾に行っているのではないかと考えられる人が多いのだろうと思います。

ところが、脳科学的に解釈をするとですね。

午前中に、お仕事というような活動をすることで脳や筋肉、そのほかの臓器の働きでエネルギーを消費する訳です。エネルギーが消費されると血糖値が下がってくる訳です。

空腹感というのはそれだけではないですが、まぁ血糖値が下がると空腹であるという情報が出来上がる訳です。私たちはそうした空腹感と同時に、自分自身が何処にいるのか(例えば安来駅の近くであるとかそういったことです)、或いはかつてどのようなものを食べた際にそうした空腹感が解消されたかといった記憶が非意識下で参照され、今ある場所とか空腹感の程度とか、財布にどの程度のお金が入っているなどなどの情報がカツカレーを食べた時の記憶と結びついた時に、カツカレーを食べに行くという行動選択が起きる訳ですが、この時点ではまだ大脳基底核と辺縁系のループ上で行われている非意識下の情報処理なのです。

そして、最も有力となった「カツカレーを食べに行く」という行動情報が言語関連領域に投射されると、「カツカレーを食べに行きたい」とか「カツカレーを食べにいく」という意識化された形になる訳です。


つまり、脳の情報処理としてはすでに非意識下で決定済みの情報が、のちに意識として感じられるということですね。


まぁ、「自由意志」とか「意思」と言うものは、物理的に実存するものではないため、概念であると言うことになりますね。

概念である以上、その範囲をどの程度に設定するのかと言う問題もありまして、例えば上に書いたカツカレーの話などは私の個人的な経験に基づいた情報処理と言えますよね。そうした意味から言えば個人的な情報処理と言えますので、非意識下であったとしても「男の暖簾のカツカレー」を選ぶと言うことは、私の個人的な嗜好を反映したものであります。そうした点から言えば、非意識下の情報処理も「意思」と言う概念に含めるのであれば、それを「自由意志」と呼んでもいいのかも知れません。そうした視点からは、自由意志はあると言うこともできます。

重要なのは、それは「意思」が行動を決定しているという形ではなく、「非意識下の行動処理情報が意識を作り上げている」と言う点です。

つまり、意思が行動を決定するような形の「自由意志」と言うものはないと言えるのです。


こうした「受動意識仮説」を元に、初めに書いた患者さんの「意欲・やる気」がないと言う状況があった場合にどう捉えるのかと言うお話に進めますね。

自由意志がないとすると、「意欲・やる気」がない状態というのはどういった状況であるのでしょうか?

簡単に言えば、周囲から見て、「意欲・やる気」というものが見られないような行動選択を非意識下でしているということになりますね。

その背後にある理由というのは非常に個人的な条件或いは情報処理にある訳です。

例えば覚醒の問題〜睡眠が十分に取れていないというのは、健康な人にもわかりやすい「意欲・やる気」が出せない条件の一つですね。

また、栄養状態も条件の中に含まれるでしょう。空腹を感じている時は、それを解消する情報処理が優先される訳ですから、リハビリテーションを頑張ろうといっても気が乗らないということは起こり得ますね。

こうして考えると、生存としての恒常性が崩れている場合というのは、「意欲・やる気」が起きにくいということは納得できるのではないかと思います。

すると、急性期の脳卒中などにおいては、脳の内部は炎症を起こしたり浮腫を起こしていたり、局所循環障害による脳の局所の低栄養などが起きたりしていて、脳の中の恒常性は危機的な状況にある訳です。「意欲・やる気」とか起きそうにないですね。まぁ、軽度の損傷であればそんなことない場合も多いのではありますけれど。

痛みなども要因に加わりますね。

大脳基底核の辺縁系ループが何かしらの機能異常を起こしている場合も同様に、周囲の期待する行動選択が起きない場合も想定できます。

慢性期であれば、長期間にわたる麻痺で回復をしないという記憶が作られ、或いは医師やセラピストから回復をしないと言われたりして、その記憶が基底核ループの行動選択にバイアスを作る訳です。


リハビリテーションに積極的ではないから「意欲・やる気」がないのではなくて、患者はさまざまな要因によって、非意識下において行動を起こさないという行動を選択していると考える訳です。


とすると、その情報処理の要因を推測し、潰していく作業が「意欲・やる気」というものがあるかのような行動を起こしていただくために大切であるということになりますね。


優しいでしょ。


本人の心問題ではないのです。

情報処理上の問題で、それは記憶やホメオスタシスなどと大きな関連を持っていると考えることが可能であって、それをなんとかしていくのが医療の形であるという立場に立つことができますからね。


ちょっと関連は乏しいのですが、受動意識仮説において、犯罪に対する罰則の問題が取り上げられることがあります。

本人の意思で行なった犯罪ではないから、罰するべきではないのではないかと言う極論ですね。

💦

違うのです。犯罪にも、それを起こす非意識下の情報処理がある訳です。その非意識下の情報処理には記憶やその他のバイアスが存在しています。これに罰を与えると言うことは、基底核ループによる犯罪を起こすという行動決定に罰を受けるという記憶が追加されることで、非意識下に犯罪を起こすと言う行動選択を起こしにくくすることが期待できる訳です。

ですので、必要に応じて犯罪に対して罰を与えると言うのは脳科学的に森に適った手法であると言えます。


最後、ちょっと話がそれましたが、受動意識仮説のお話でした。

優しいでしょ。

( ◠‿◠ )


「自由意志はない。だからこそ、私たちはもっと優しくなれるし、工夫の余地がある。」


さ、今日のお昼はカツカレー食べに行こうかな。

(๑>◡<๑)


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