science

更新日:8月23日






科学とは何か?

何度かこのテーマでブログを書いています。

(以前の物はこの記事→悪魔の証明

なぜまたこの話題を持ち出したかというと、ここ最近3つの論文に触れる機会がありました。それを読んでいて、違和感を感じたのです。


Wikipediaで「科学」を調べると、以下の一文を見つけることが出来ます。

〜もとより科学は過去の知見を元に未来を予測する性向を強く持つ。このため「科学的」でさえあれば未来の予測は正しいとの確信を招きがちである。このような確信は、論理の前提とすべき命題の不知、確率的現象やカオスの存在によりしばしば裏切られる。〜


例えば医療従事者であれば常識ではありますが、自閉症にしても認知症にしても脳卒中にしても、その障害像と言われる状態が、「なぜそういう状態になるのか?」という根本的な部分においては未だに「真実」と呼ばれるものは解明されていません。

当たり前のことですが、脳のことはまだほんの少ししか解っていないからです。


その真実~本質的な根拠を探そうとする試みならば理解できますが、実際の障害の状態についてその程度や分布、もしくは全く異なるメジャーを持ち込んでも、その結果には何ら科学的根拠を感じることは出来ません。

しかしながら、それらの論文が一定の権威のある雑誌に掲載されれば科学的根拠として用いられることになります。それはミスリードにつながります。


何を読んだかはここでは書きませんが・・・1つはFacebookに書いちゃったのでばれちゃうだろうと思うのですけど。


ですので、ちょっと視点を変えて古い話をします。

リハビリに関わる脳卒中の運動麻痺のメジャーにブルンストロームステージという物があります。ブルンストローム先生の伝記を読んだことがありますが、彼女はとても美しく聡明で努力家であったようです。しかし、彼女の提唱した回復段階としてのステージはその根拠に欠けています。当時の知り得る知識のなかでは仕方がないものではありますが。

私の知りうる限り、片麻痺の麻痺の回復状況を統計的に捉えてⅠ~Ⅵに分類した物で、なぜそうなるのかと言ったことには言及されていません。さらに、この分類はブルンストローム先生が提唱したリハビリの方法論の中で使用される物であって、一般的な麻痺の程度を表す指標として利用することを目的にした物ではないのです。

しかしながら、現在日本(だけと言われている話も聞きます)ではブルンストローム先生の提唱した方法論でセラピーを用いないにもかかわらず、単純な片麻痺の機能のメジャーとして利用され、その結果を回復のエビデンスとして利用したりしています。

非常にくだらない詭弁的な使い方ですよね。

ブルンストローム先生も猛烈に不本意でしょう。伝記を読んだ印象の方でしたら顔色を変えて怒っているかもしれません。


リハビリテーションにおいて本質的な根拠がまだ充分解っていない、あるいは欠けているのに利用される尺度として様々な物(ほぼすべてと言ってもいいかもしれません)があります。筋力で用いられるMMTは筋力がなぜ低下しているのかを示していません。最終的な結果として出てくる筋力を示しているだけであり、筋力の改善は何かしらの問題が解決したのか、あるいはほかの代償的なメカニズムによって筋力が上がったのかまではわからない物です。

関節可動域に関わるROMテストも同様です。各種高次脳機能評価、認知症の検査、すべてが本質的な根拠が無いまま用いられています。

FIMなどの日常生活に関わる検査もそうです。

あたかも科学的な根拠を持つ振りをして。


新型コロナウイルスに話を変えます。

まだ、これがウイルスなどがわからなかった時代に流行したとします。

だとすると、科学的にどうして分類されるのでしょうか?

それは例えば「呪い」に分類されてしまうかもしれません。その呪いにかかると呼吸が困難になったり、味覚が無くなったり、熱が出たりして苦しみます。その呪いはかかった人により他の人に呪いを伝染させていきます。

そうなれば、呪いにかかった人を座敷牢に閉じ込め、祈りを行うかもしれないですね。

そうすると一定の人は呪いが解け、強く呪われた人は亡くなると言った結果になるかもしれません。

そういう時代においてはこれが「科学」と呼ぶことが出来るのでしょう。

今は違いますよね。「科学」は変化していく物です。


さて、話を元に戻します。

〜もとより科学は過去の知見を元に未来を予測する性向を強く持つ。このため「科学的」でさえあれば未来の予測は正しいとの確信を招きがちである。このような確信は、論理の前提とすべき命題の不知、確率的現象やカオスの存在によりしばしば裏切られる。〜


繰り返しになりますが、人の行為/運動/認知機能などメカニズムは論理の前提とすべき不知にあたります。

そうである以上、科学的であるという姿勢を貫くためには考え続ける必要があります。

しかし、人は「科学的」でさえあれば未来の予測は正しいとの確信を招きがちです。それは思考停止です。科学的であろうとする姿勢からはほど遠くなってしまう。


論文を書こうとされる方や、それを読まれる方はそういった事を強く意識しておく必要があると思います。

リハビリテーションにおけるエビデンス(Evidence)とは何か?

現代の科学の状況からそれを表現すると、身体の不知な情報をもとに、未来を予測しうる正しい論理性を持つかのように見せるために仕組まれた情報であるといえるのかもしれません。


セラピストは科学的であろうという姿勢を失ってはいけません。

目の前の人から、できるだけ多くのことを知ろうとする姿勢こそがリハビリテーションにおいては大切で純粋な「科学」なのです。


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