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受動意識仮説とリハビリテーション

更新日:2023年10月13日

2023/10/12。本日の朝、外に出たらとってもいい天気です。バイクに乗って出かけたくなりました。だけど、今日は朝から夕方まで仕事です。

外に出た時、天気の良さに脳は何かしらの快刺激を受けたのでしょう。その快刺激を最大限に報酬系に結びつける方法としてバイクに乗るという情報処理を行なった様です。その結果バイクに乗りたいと意識が生じます。しかし、今日はご予約をたくさんいただいていることも脳は記憶しています。それらをすべてキャンセルしてバイクに乗った場合、脳の情報処理は不快として認識するであろうことから、基底核ループなどの働きで、バイクに乗って快刺激をさらにたくさん受けるという行動選択より、仕事をするという行動を優位に選択します。結果、バイクに乗りたいけれど、仕事があるから、チャッチャと朝しないといけない事(洗濯物など)を片付けて仕事に出るということになるのです。

すべて無意識下の行動選択ですが、一応、自分の脳の情報処理を、こんな感じじゃ無いかと思って書いてみました。


だけど、その葛藤があったりするので、ちょっとこの記事を書き始めたりしているわけですね。全て、脳の無意識化の情報処理を後付けで理屈を考え意識に上らせているのです。

私の場合、「天気が良いなぁ。バイク乗りたいなぁ。だけど、仕事だからバイクは諦めて仕事行こっと。間に合う様に洗濯物を干さなきゃ。」なのに、今こうやってキーボードを打っているってな具合。(^_^;)



先日、京極堂シリーズ「鵼の碑」のお話を少し書きました。どうやら、受動意識仮説は、小説になるぐらいの一般性を獲得している様です。

以前、意識はいつ造られるのかという話題で、受動意識仮説はある程度正しいのでは無いかと言うことを考えながら書いた記事があります。


受動意識仮説、どの様な仮説なのかということをおさらいします。

一般的には、意識が全てを決定していて、さまざまな活動や行動の選択をしているという考え方をしています。そっちの方が人は納得しやすいですよね。

しかし、どうやら実は無意識がさまざまなことを決定していて、その情報処理の結果に対して意味づけを(無意識に)するのですが、その「情報処理結果によって決定された情報に対する意味」が意識として知覚されるというわけです。

脳の働きの結果、さまざまな行動や動作を表出するわけですが、意識からトップダウンで行われているのではなく、ニューラルネットワークの分散処理の結果ボトムアップに働いていて、行動や出力が決定され、その結果に対する意味づけとして意識がつくられるというわけです。


これらの仮説の初期のものには、リベットの実験というのがあります。

リベットは、1983年に、実験によって指を動かそうとする意識が生じる0.35秒前に、脳の指を動かす領域が出力を起こしているのを示しました。

また、リベットは1991年にダイレクトに脳の感覚野を刺激したところ、被検者が皮膚の感覚を意識するのに0.5秒のタイムラグが生じていることを報告し、脳は意識する時間も錯覚させている事を示しています。


面白いですよね。手の感覚情報というのは、実は脳が感じているはずなのですが、私たちは手が感覚を受けていると勘違いしています。例えば手が熱くなっているフライパンに触れた時、脳が熱さを知覚しているのに、脳が熱いと感じていると考えることはなく、手が熱いと思いますよね。私たちは、位置も時間も錯覚していることになります。


さて、この受動意識仮説は神経生理学的にはどの様に考えることができるのでしょうか?


現在、脳の領域はある程度どの部位がどの様に働くのかということがわかってきています。


(あ、なんだか胸がむずむずしてきた。多分、このまま書いていると時間が足りなくなるのを感じて、焦りの様な感覚が生じているのでしょう。さ、今朝はこの辺りにして洗濯物を干して、あとは時間のある時にしよっと。)




〜さて、続きを書くことにします。


現在、脳の領域はある程度ではありますが、どの部位がどの様に働くのかということがわかってきているのです。




高草木薫先生が米子に来られた時の資料からの図です。


大雑把にそれぞれの部位がどの様に働いているのかということが表現されていますね。

行動−認知−記憶の間に見当識と書いてあり、その説明に、場所.時間.行為など現在の自分に対する意識」と記載してあります。

以前の記事にも書きましたが、前頭葉、頭頂葉、後頭葉などは意識というものが存在しません。

意識の多くは言語化されるものだけであって、それを記憶することで生じるのではないかと考えられます。

リベットの1983年の実験から予測されることは、自身にたいする意識が先行して行動を起こしたのではなく、無意識化にある記憶が意識化される前、前頭葉に働きかけて運動出力情報を作ります。先に書いたように前頭葉は無意識下のシステムですので、ここで意識は生じないのです。

運動情報のエファレンスコピーはおそらく頭頂葉とともに言語領域に送られることになります。この情報伝達は上縦束(弓状束も含む)によるものだと推測することができます。その時にやっと、「指で押そう」という意識が生じるというわけです。

そう考えると、リベットの実験結果の情報処理を支える構造的背景が在ることになります。


無意識下の記憶という表現を用いています。記憶というものも、意識に上るものと無意識のものが在ります。

先日、バイクに乗ろうとした際に、バイクの鍵がない事に気付きました。鍵を何処にやったのか、思い出すのに苦労したのですが、思い出すことができたのです。これは、無意識下の記憶をなんとか引っ張り出したということになるのだと思います。

実際、意識化できない記憶などたくさんあるのだと思います。意識化できる記憶などほんの一部なのです。さらに、普段意識化している記憶はさらにもっと少ないはずなのです。


とすると、無意識下の記憶や、無意識下の身体図式、外部環境などの情報から無意識のうちに、行動選択が起きていて、その行動選択のエファレンスコピーが左脳の言語領域におくられると、意識と言われる情報が作られるという事が推測されます。

この情報処理を脳科学的な実験で証明できるのはもっと先のことになると思いますが、私は、現在、この情報処理の流れはほぼ間違いが無いのではないかと考えているのです。

そう考えないと、リベットの実験は成立しないことになるのです。

(勿論、リベットの実験手法そのものに欠陥が在る可能性と、その解釈に問題がある可能性は否定できません)


さ、というわけで、リベットの実験が、真実に近づいているとするとですね。

リハビリテーションにおけるいくつかの考え方は齟齬が生じる事に為りはしないでしょうか?


日常的な声かけ、私たちは「コマンドの使い方」とか言ったりします。これも言われたことを一旦ワーキングメモリーに記憶情報としておくなりして、基底核ループなどによる運動出力情報の選択が行われる際のバイアスとして機能することは、可能性としてはあります。

しかしですね。運動選択や運動のバリエーションは身体情報と外的環境の中で無意識下でつくられているものと言う事になりますから、元から在るプログラム情報が多彩に増えてくるわけではないのです。ですから、いつも使っているパターンを表出することになります。もし、コマンドでれが良い反応があったとすれば、そもそも、元からお持ちだったプログラムだということになります。

コマンドで動きの質が変わることはなさそうだということになります。

ですので、コマンドを使うにしても、お膳立てをして、無意識下にプログラムを作っていただいた後にコマンドを用いるとか、そういった順序が必用だということになります。


また、目標指向的アプローチなどにおいても、余りに大雑把な目標設定は、脳の情報処理は何も変えないのではないかと推測することになります。

目標自体は意識されるものです。ところが意識は行動や動作の決定の後に生成されると主張するのが受動意識仮説ですので、そうなりますよね。

違うでしょうか?


例えば、歩行の獲得〜長距離の歩行が可能になることが目標だとして、歩くという訓練を行うという場合を考えてみます。

歩く距離を徐々に上げていくことになるのかも知れません。

この場合、歩く距離は伸びるのかもしれませんね。

しかし、歩く際に努力が必用だったとすると、そこは変わらないわけです。

努力しながら短い距離を歩けていたけど、長い時間努力が出来る様になって結果、距離が伸びるという事ですね。検査で数値化すれば改善したことになります。

それはそれでいいことなのです。


だけど、歩くのが楽になったから長く歩ける様になったという事とは違うのです。

何も考えなくても足が軽くなるとか、麻痺側で確り体重を支えることができるとか、麻痺側に体重をかけても身体が崩れないと言った様な改善によって、歩くのが楽になるのであって、それは、脳の情報処理の変化を伴うものです。

であれば、長い距離を歩行できる様になるといった目標の中に、歩く以外の様々な要素で脳の情報処理が変わるという事が必要になってくるのです。歩くのが楽になったから長距離が歩ける様になったというのはそんな状態ですね。

歩くのが楽になったと言った様なことを目標とするならば、やはり歩くだけでは難しいということになります。色々な手続きが必用なのですね。この場合は、なぜ歩きにくいのかと行ったことを知ることや、それを改善させるためにどの様な手続き(感覚入力)をするのかと言った評価と治療が一体となった思考が必要になります。


脳の情報処理をよりよいものに変えようとするのであれば、やはり、そういった考え方や手続き(手順)が必要になりそうですよね。運動学習と言っても何をどの様に〜言い換えればどの様な情報を脳の何処で処理させることを学習させるのかと言った目標が必用なのだということになるのでは無かろうかと思うのです。


ここまで書いていてふと思いました・・・


ただ、ですね。

一般的にはリハビリテーションの目標として、脳の情報処理の改善というより、動作能力の改善を目標にする場合がおおいわけです。脳の情報処理の改善の結果として動作能力が上がるという状況も「改善」ですが、情報処理が改善したと思えない状態でも動作自体は可能である場合も当然あります。非麻痺側で頑張れば多くの日常生活動作は可能ですし。出来なかったことが出来れば当然「改善」となる訳です。

結局どういう考え方をするのかというのは、施設や個人に委ねられる事になりますね。


まぁ、個人的には脳の可塑性の存在があるという事がこれだけ解ってきているので、可塑性に基づいた改善〜脳の情報処理の改善を目標にしたいと考えているのです。


あれ?

受動意識仮説。リハビリテーションの流れを変えそうな気がしていたけれど、もしかしたらあんまり変わらないかも。

変わって欲しいなぁ・・・











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