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脳卒中に関するリハビリテーション医学の大きな間違い

ちょっと刺激的な題名ですね。

(^_^;)

注目を集めるかと思って・・・

ただ、これから以降書くことは、たぶん科学的には正しいと思います。


さて。

結論から先に言えば、リハビリテーション医学における脳卒中の「回復」の定義が明確ではないという事なのです。


医療における回復というのは、「病気や怪我などの悪い状態が元の状態に戻る、または症状が改善する」ことを指すわけです。


一般に脳の神経細胞が損傷を受けた場合、神経細胞自体の再生は起きないとされています。

完全に再生しないのかというと、現在は再生する部位(例えば海馬の歯状回)があるとされていますし、再生医療による神経細胞の増加などの報告も見られたりします。ですが、通常は再生しないと考えられているわけです。


とすると、病気や怪我などの悪い状態が元に戻ると言う事にはならないことになりますね。

ところが、1970年代頃より脳の可塑性というものが神経生理学者の中で言われはじめたのです。

可塑性とは、変化する性質のことです。

脳の情報処理は常に変化するわけですね。学習という言葉に言い換えても良いと思います。

例えば、生まれたばかりのあかちゃんの脳は歩いたり言葉を操ったりすることが出来ないですよね。様々な運動を見たり経験したりしていくことで、大人になるに従い言葉を操るようになったり歩いたり走ったり出来るようになっていきます。

見たり経験したりすることで学習するわけです。


脳損傷が起きて、脳の神経細胞が壊れても脳の可塑性というのは起きてきます。

それは、簡単に言えば現在は脳の回路の再編成〜残された神経細胞の接続によるものだと考える事が出来ます。

脳の神経細胞が損傷を受けても、ある程度であれば接続を変化させて情報処理をしていくことが出来るというわけです。


じゃぁ、この脳の可塑性による学習が脳損傷後、脳神経細胞が再生しない事を前提とした上での脳機能の「回復」と呼べるのではないかという事にはなるのだと思うのですが、これにはなかなか難しい問題があります。


例えば、脳卒中の歩行を例にとって考えてみます。

歩行というのは、脳の中にあるいくつかの歩行中枢(中脳歩行誘発野、視床下部歩行誘発野、小脳歩行誘発野など)があって、これらの歩行中枢がなにかしらの情報によって活性化することと、基底核の脳幹出力によってリズムを調整したり適切な筋緊張状態をつくって歩行中の姿勢を維持したりすることになります。こういったメカニズムが存在しているので、高度に自動性をもった歩行が可能となっていて、歩行中にも移動と言った事以外の課題をこなすことが可能になるわけです。此はマルチタスクと呼ばれています。

話をしながら歩くと云った事は、歩行が自動化されていないと結構難しいことなのです。


脳卒中になっても、歩行は可能になる人が多いですよね。ですが、いつも床を見ていたり、話しかけると歩行が止まったりと、歩行以外のタスクが出来ない状況が結構見られたりします。

此は簡単に言えば、歩行が自動性をもっていないと云うことになります。

つまり、歩行誘発野や基底核の脳幹出力の調整による自動化された歩行では無くて、他の回路を利用した歩行〜おそらくは随意運動(この呼び方はちょっと引っかかるのですが、まぁ、解りやすいので使いますね)と呼ばれる、おそらくは高次運動野から一次運動野への情報処理を主体とした下肢の運動性によって歩行を可能にしているのだろうと推測できます。


これらのことについては、臨床的にそうだと考えられる反応であると思うのですが、脳科学的に非損傷脳歩行時と損傷脳歩行時の脳の情報処理の違いについていくつか報告はあるものの、まだ議論の最中できちんと明確に示すことが出来る研究結果というのはないのです。


したがって、どの様に歩行が評価されるのかというと、スピードであるとか、装具や杖の必要度であるとか、どのくらいの距離を歩行可能であるのかと言ったような評価項目にとどまっていて、それらの評価項目は必ずしも上記のような脳の情報処理を反映したものではないと考えられますので、実際の脳の情報処理が脳の可塑性に基づいてより正常と言えるものになっているのか、或いは他の代償的な情報処理によって歩行が可能になったのかと言った「回復」と言った側面からの情報が欠如もしくは乏しいと言えますよね。


そういった事は、このほかのFIMやBIといったADL評価にも同様なことが言えます。


ですので、こういった評価の指標を「回復」と言うためには、きちんと「回復」という言葉の定義を「脳の情報処理が適正であるかどうかは別の議論になるものの、現状では人の行動や動きに対する理解が不十分であるため、かりにADLの獲得状況を回復と定義した場合」というような定義づけをした上で、研究やその研究結果の利用が行われるべきで、なんの疑いも持たずに研究結果を正しいとしてアプローチの方向性を考えて行くのは科学的では無いと思うのですね。


所が、現在のリハビリテーションをめぐる医療情勢は、リハビリテーションの質をFIM利得で考えたりしているので、脳損傷のリハビリテーションの効果は実際には脳の情報処理の「回復」とは無関係だと言えるように思います。


もしこれらの評価項目の点数の改善を脳機能の「回復」とみて研究しているのであれば、それは前提自体がおかしいと云うことになりますので、脳科学的では無いと云うことになるのでは無いかと思うのです。


ADLの指標とかその他の指標もそうですが、人の脳の情報処理が解っていない現状、また、人の行動のメカニズムが解ってない以上、それらの指標は必要条件かも知れませんが、人の行動や動きを表す為には充分では無いものだと言えます。

恐らくそれは間違いが無いことだと言えるでしょう。

それにもかかわらず、現在の科学的研究を何の疑いも無く信じてアプローチを展開するのは「宗教」となにも変わりはしないと思うのですね。


科学を。

脳科学を信じるなと言うことでは在りません。

科学的な研究に対しては批判的に思考を行う事が大切なのです。

それに異論を持つ脳科学者は少ないのでは無いかと思うのですね。


脳損傷の「回復」という言葉の定義が明確ではない事、そこに脳卒中に関する現在のリハビリテーション医学、或いはEBNのもちいられ方、さらには厚生労働省による脳損傷リハビリテーションの指針には大きな間違い、もしくは問題が科学的にあると私は感じているのです。

そうは思いませんか?


異論や反論は色々あることとは思いますけれど。

それもきっと面白いことだろうと思い、書いてみました。

(*^_^*)









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