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脳移植

更新日:8月5日



脳移植のお話を少し聞いたのですね。いずれ科学の進歩で可能にはなるだろうというお話でした。


再生医療では無くて脳移植。


これは2つのパターンがあると思うのです。


一つは、何らかの脳以外の損傷が起きた場合~例えば頸髄損傷とかALSとかで、脳という臓器が保たれているけど、四肢の動きが出ないという場合に、その脳を、脳死と云われる状況の身体に移植するようなケースですね。確か、以前、中国で患者を募集していたような記憶があります。とおもったら、2017年に頭部移植、されておられたようですね。それ、その後の経過が知りたいですね。(^_^;)

その記事のリンクを張っておきます。


もう一つは、オルガノイドといわれる幹細胞からつくる臓器があります。幹細胞から脳をつくり出し、それを損傷した脳に移植するケースです。脳オルガノイドは確かすでにつくられていて、脳波などを認め、意識があるのでは無いかという論議があった記憶があります。

広島大学が研究をされておられるようですね。これもリンクを張っておきます。


この二つのケース。いずれにしても、「私とは何か?」あるいは、「意識とは何か?」という課題を明確にしていく必要がありそうな気がするのです。



それぞれのケースで考えてみますね。


最初のケース、自分の脳を他人に移植する場合です。


脳の働きを考えた場合、意識というのがどこに生じるのかというのはかなり難しい問題なのです。脳は、遺伝によってある程度のコンポーネントを共通する形で発達します。しかし、その接続であるとか細かな部分は生育過程の経験で接続場所やその強弱などの個性が生じます。


経験というのは、身体を通じて脳に届けられることになります。視覚であれば、眼球から網膜に入った光情報が後頭葉に送られることになりますし、皮膚や筋肉からの情報は頭頂葉の感覚野へ運ばれます。このようにそれぞれの感覚はいったん脳の特定の部分に入力されて、統合されていくことになります。簡単に言えば、この統合された情報が前頭葉に運ばれると、前頭葉は基底核によって無意識下で環境に適応するために(経験的に)最適な出力を選択し、運動皮質に伝えていき、運動皮質はその情報を脊髄に下ろすわけです。かなり単純化していますが、ここで云いたいのはこれらの情報のやりとりに「意識」が関与していないということなのですね。これらは無意識下の情報処理なのです。意識化されるのは、運動出力情報のコピーが脳の他の領域、これは特定されていないのですが、おそらく左脳の言語情報処理領域に運ばれて意識を作り上げているのでは無いかと私は考えています。


ここまで読んでいただけると、気がつかれた方もおられるかもしれませんが、脳の情報処理はあくまで、その個人の身体からの情報に基づいていて、それによって意識が生成されているのであればですね。


脳が生存していて、今までの身体と違う身体に移植された場合、その情報処理の元となる身体情報そのものが変化するわけです。違うからだからの情報による情報処理は、当然今までの身体から来る情報処理とは異なるものになるのです。すると、意識というものも変容することになるかと思うのですね。


結局、今までの自分という意識は変容し、新しい自分が生まれることになるのでは無いかと思うのですね。まぁ、それでもいいという場合は多いのかもしれませんけれど。



もう一つのケースについても考えてみます。


脳損傷が起きた場合に、脳オルガノイドをつくり、損傷した脳と、あるいは脳の一部を交換するというケースですね。


脳オルガノイドに意識が存在しているとする論議もあります。私は無理があるのでは無いかと思うのですね。先にも書きましたが、脳は身体の感覚受容器から情報を収集し、その情報処理の結果を受けて意識をつくっているのでは無いかと考えているので、身体という感覚収集システムを持たない、単体の脳というのは情報処理がそこまで進まないのだろうと思うのです。脳全体を移植するケースを考えると、その脳はまだ感覚情報処理経験を持たない神経システムですので、まぁ、赤ちゃんみたいなものです。今までの脳を取り替えると云うことになると、今まで経験した記憶もなくなるわけですので、これは今までの経験の記憶を持つ個人は喪失することになるわけです。


さて、部分を取り替える場合も同じようなことが云えます。情報処理システムは経験によってシナプスの接続の位置やその強弱を持ちます。それを記憶と言い換えても良いのだと思うのですが、やはり何かしらの個人が持つ記憶は消失することになるわけです。


そして、意識というのはそれまで経験したもの~記憶と云っても良いのかもしれませんね~からつくられる情報処理と云うこともできますので、やはり別な人になっちゃうのだろうと思うのです。



多分、脳の情報処理に興味の無い普通の人は、脳移植というと、自分という存在がそのまま残って、身体が変わるとか脳が健康になるというイメージだと思うのですね。多分それは無理です。



結局自分という存在はいなくなるか変容することになります。


そこまでして脳移植したい人がいるのかなぁ?



あ、後で気が付いたのですが・・・

最初に頸損で頭部移植とかきましたが、頭部移植が出来るぐらいの科学技術が存在するのであれば、頸損などつなぎ直せちゃう気がします。(^_^;)

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