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個別性の重要性

更新日:3月10日

脳は自らの身体を通じて外界を知覚します。

眼球・鼻・耳・前庭器官・皮膚・筋や腱・内蔵(グラビセプター)など様々な、身体という道具を介して脳は外的な世界を知覚しているのですね。

ですから、すべては自分自身を介して自分の脳内に様々な情報を再現していると云っても良いのだと思います。

すべての事柄を自分自身を介して知覚・認知しているので、すべての事柄は自分を基準に判断すると云っても良いのかも知れませんね。


私のブログを初期から読まれている方は、下の図を見たら既に何が描かれているか解っちゃうと思います。(^_^;)



だけど、初見の人に何が描かれているのかはまず解らないでしょう。

これが解らないという事は、V1による線の傾きなどの検出や、線のつくる輪郭の検出が行われず、結果的にV2を経由してV4 に送られた情報や、V1から直接V4に送られる情報がV4で図と地(背景)を分離し切れていないために何が描いてあるのか解らないという事になるのだと思います。

腹側経路〜What systemですね。


ところがですね。「ある図」を見ると、この図が何を描いているのかというのが知覚できちゃいます。最後に行を開けて「ある図」を貼りますので、初見だった人はここで最後までスクロールしてその図を確認してみてください。


そしたら、もう既に上の図に描いているものが見えているはずです。

これは、図の認識がITに至った情報処理があって、それが記憶されて、IT→TEO→V4→V1或いはIT→V1といった情報処理の流れがV1による輪郭の(部分的な)検出やV4の図と地の分離といった情報処理を促していると考えても良さそうです。

ちなみに、カンデル神経科学と云う本には、

「高次レベルの形の表現が低次の分節の過程を誘導している。」

と云った解説が書いてあります。


これは、経験、学習したことが知覚・認知に影響を与えているという表現でも良いのだと思います。

初見の人は、最初に出した図は何が何だか解らなかったわけですよね。

しかし、一度経験し、知覚・認知した視覚情報は学習されて上の図に何が描いてあるのかという事を素速く知覚できるのです。

これは、上に提示した単純な図であっても、人によって知覚できるものが違うという事になるのです。

言い換えると、同じものを提示しても人によって知覚・認知できるものは異なる場合があると言えます。

同じ情報を提示しても、そこから知覚・認知できる情報は個人の経験・学習されたものによって異なるものを知覚・認知していることになる訳です。


これは視覚に限った話ではありません。


同じ小説を読んでも感動する人がいたり、面白いと感じる人がいたり、まったく興味が無い人もいます。

景色などは、実は美しいと動物が感じるものには一定のルールがあったりするのですが、それでも同じように美しいと感じるかどうかは人に寄ることも多いのです。

好ましいと感じる人も人それぞれ。


だけど、人は自分の経験から認識したものを一般的なものだと思ってしまい易いところがあります。最初に書いた様に、脳が身体を使って外的な環境のコピーを脳の中につくっているので、そのコピーされた外的環境情報を正しいと思いがちなのです。

だけど、それは実は個人的な外的環境情報にしか過ぎないのです。

セラピストにとっても、あらゆる情報はその個人の脳の中で認識された範囲での情報であって、他人と完全に共有することは出来ません。他人もその人の身体を使って自分に認識を脳の中でつくっているわけですからね。


ですからセラピストにとって、同じ論文を読んでもすべての人が同じように内容を受け取るわけではありません。ディスカッションをすればきっとそれぞれに違いに気付かれることも多いことでしょう。

同じ患者さんを診ても、何処に違和感を感じるのかとか、問題が何処にあると感じるのかという事はそれこそセラピストの経験〜セラピストが学んできたこと・みてきた症例・行ってきたアプローチとその結果などに左右されます。


ちょっと話が違いますが、以前、研修会で、ある医師に興味深いお話を伺いました。

その医師が、医師同士の研修会の時に、同じような年齢で、同じ損傷部位で,損傷範囲も同じぐらいの症例を集め、それぞれに異なる特徴を持つ歩行の様子を動画で提示したそうです。

動画を見せていただいた記憶があるのですが、それぞれに異なった問題点がありました。

しかし、その医師の研修会では他の医師の反応は、歩行(歩様)が異なる様には思えないという反応が大部分であったとのことでした。

セラピストがみると、違いは結構明らかなのだと思ったのですけれど、セラピストの様に歩様に執着を示さない、日常的に歩行が出来ているか否かといった判断をするにとどまる医師では同じ歩様をみてもこんなに反応が異なるのだとビックリした記憶があります。


話を元に戻しますね。

脳損傷の患者さんにとっても、同じような動きを為たり、同じような介入を受けたとしても、やはり、感じ取るもの、知覚の仕方、認知、或いはなにかしらの気付きと云う物は千差万別なのです。損傷部位や大きさが違えばなおさらです。


それぞれの経験が知覚を変えているのであれば、セラピストにも個別性が在り、患者さんにも個別性があるわけですよね。

それを一般論に落とし込んでも限界はありそうですよね。


切り口として統計的な一般論は有用だとしても、個別性のある患者さんのおかれている情報処理の状況を探索していこうとする姿勢がリハビリテーションにおいて最も重要で正しい姿勢であると言えるのでは無いかと思うのですよ。

個別性をきちんと考えて行くことを追求していく姿勢ですよね。


誤解を生まない様に書いておきますが、EBMは問題があるというような事が書きたいわけではありません。この年になってますので、そんな四方八方にケンカを売る様な真似が有用ではないという感覚を持ち合わせております。(^_^;)


ただ、患者さんのことを理解しようとするのであれば、EBMと云われる物の受け取り方や、それによって選択されたアプローチを行おうとするに当たっても、個別性の重要性をきちんと理解しておくことが脳神経科学から考えても言えるのだろうという事を頭の片隅においておくことは大切なんだと思うのです。

ひとつ本を紹介しておきますね。

以前も紹介したことがあるのですが、とっても良い本です。

現在の松江赤十字病院の院長とお話をさせていただいている時に紹介された本です。

医師の話ではありますが、セラピストにこそ読んで欲しいと仰っておられました。


「医者は現場でどう考えるか」 ジェローム・グループマン 石風社



帯に

「認識エラーや認知バイアスを回避し、いかに真実に到達するか」

と書かれています。

私たちの経験や知識、様々な論文やEBMと云われる物なども私たちの認知に影響を与える因子であって、それらが正しいと保証するものは無いのだろうと思うのです。そういう意味で、私たちは常に認知バイアスの中で物事を判断していると言えます。

その中でも真実と云われる物に到達するには、私たちや患者さんには個別性があるのだという事を知り、その中でも、患者さん自身のことを私が知ろうとする姿勢がいかに大切かが書かれている様に、私は思います。

どうぞ、一度読んでみてくださいね。

(^^)/


さて、ここのちょっと下に最初に提示した図が知覚・認知しやすくなる図を貼っています。

もう少ししたまでスクロールしてみてくださいね。

(*^_^*)











































上に戻って、最初の図を見てみてくださいね。



2024/03/10追記

お茶の水女子大の毛内拡先生の動画を見つけました。

ショート動画はこのブログに貼り付けることが出来ない様なので、リンクを張りますね。


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