Nagashima Kazuhiro

2021年12月15日9 分

思考遊び〜随意運動とはなにかと言うことを考えてみた

最終更新: 2021年12月23日

随意運動については、以前書かせていただいています。

私は「随意運動」という言葉に対して、違和感を抱いていたのです。

随意運動とは、意思に随(したが)った運動と言うことです。

運動は意志に随った物でしょうか?

「今、動こう」とする自発的なプロセスは無意識に始動することを、私たちは発見しました。[…]自発的な行為に繋がるプロセスは、行為を促す意識を伴った意志が現れるずっと前に脳で無意識に起動します。これは、もし自由意志というものがあるとしても、自由意志が自発的な行為を起動しているのではないことを意味します。(リベット『マインド・タイム』、下條訳、岩波書店)


 

自由意志については、様々な論議があります。ただ、現状の脳生理学を考えると頭頂連合野は無意識下の情報処理ですし、その情報を上縦束によって前頭連合野に送ると運動プログラムを生成しますが、ここも無意識下の情報処理です。生成された(或いは意識には上らないけれど想起された)いくつかの運動/行為のプログラムは基底核ループによって実際に出力するプログラムを選択され実行していきます。ここも無意識下の情報処理です。

様々なモジュールが存在していますが、それらは意識の水面下で情報処理され運動や行為を決定しているというのが、おそらく現在の脳科学が出している結論です。もちろん、その結論はこれから変わっていく可能性はあります。ただ、非意識的な情報処理による運動/行動選択と出力の存在は否定されることは無いと思います。自由意志による運動/行動選択という物が存在しうるか否かが今後の論点になっていくことでしょう。
 

非意識下に運動/行為が選択され実行されているとすると、運動出力が先行してその後に意識が運動/行為の意味を後付けで説明してくるということになります。

運動は意志に随っているのではなくて、意志が運動に随っているのです。

つまりあなたが誰かに右手を挙げてと言われて、今右手を挙げたとします。

あなたは「右手を挙げろと言われて、右手を挙げようと思って手を上げた」と考えるかも知れません。

しかし実際は、外的環境情報の中で「手を挙げて」という音声情報が加わることで意識の水面下で手を挙げるという運動/行為のプログラムが基底核ループによって選択されて非意識的に手を挙げることになります。意識は手を挙げていることに気がついて、音声情報があったことした事を思い出して「私は右手を挙げてと言われたから右手を挙げている。」と認識をするということになります。


 

疲れ果てて歩いていたら目の前にテーブルと椅子があるのを発見しました。発見した時点で頭頂側頭連合野による机と椅子の情報は前頭連合野に運ばれています。前頭連合野は椅子に座るという行動選択を意識の水面下で行います。その情報処理はあなたが椅子に座る行動を起こす前です。行動を起こした後、自分が疲労しているという内的な情報と椅子に座るという行動選択の情報、或いは椅子に座ろうとした行動その物の情報を組み合わせて、「疲れていて椅子に座りたかったから椅子に座ろうとしている。」と脳のどこかの部分が意識として自分の行動を整理することになります。

そして、椅子を引き、テーブルに両手をついて座るかも知れません。それらも椅子と机の距離や机と椅子の位置情報と座る際に起きる重心移動に対して全身の姿勢筋緊張が疲労により不足しているといった内的な情報が無意識下に処理されて手をテーブルにつくという行動選択をしているはずですが、それが意識に上ることはないかも知れません。このときに、誰かが、「なんで手をついて座ったの?」と尋ねたり、テーブルの上が手を置ける状況になければ手をつく場所などを探索するために「手をつく」という行為が意識に上るかも知れません。そのときに「疲れているからテーブルに手をつきながら座ろうとしたのだ」と意識が説明を加えてくることでしょう。


 

スポーツ、例えば卓球などで相手がスマッシュしても素早く打ち返す事のできる選手は、相手のスマッシュの後のピンポン玉の軌跡を意識してどのように打ち返したらいいかを考え、打ち返しているのでしょうか?おそらく違うと思います。いちいち意識化して考えていては相手の打ったピンポン玉は自分のラケットの後ろ側に吹っ飛んでいくことでしょう。相手の打ったピンポン玉の軌跡を、視覚でとらえることで後頭葉に送られた情報は素速く前頭葉に運ばれ、意識の水面下で基底核とやりとりをして今までの経験で最も報酬が期待できる、つまりピンポン玉が相手のコートに返っていくラケットの操作を選択し、先に視覚でとらえたピンポン玉の軌跡で自分のラケットにあたる位置とタイミングで動作を出力しているだけです。後で、「あのスマッシュのレシーブは凄かったですね」などとインタビューされた際に「ああ、あれはトップスピンで左のエッジの方に飛んでくるとても厄介なスマッシュでしたが、ネットに引っかからないように思い切ってバックハンドで返しました」といったように「意識」があたかもそういったプログラムを組んだかのように答えることになるのでしょう。


 

現在の「意識」に関わる研究によれば、おそらくこれらの例のように意識は運動や行為が出力された後に理由付けとして生み出されると言うことになります。どうやって選択した行動が意識に上るのかは、運動プログラム生成/運動選択/実行といったシステムとはまた違った情報処理システムを想定することが必要です。

意識的に動かそうとする場面もあるとは思います。それは多くの場合、動かなかったり痛かったりして運動が起こしにくいということに気付いたときです。この場合は初めに起こした運動プログラムに対して意識的に運動出力を調整することで出力を制御しようとすることになるのでは無いかと考えています。

脳損傷によって起こる障害で意識と行動の乖離が観察されることがあります。

たとえば道具の強迫的使用と言われる症状は道具をみた際に、その道具の使用を制止されていて本人もその道具を使ってはいけないと言う意志があるのに、手が勝手に道具を使用してしまうような症状です。補足運動野や前頭前野などで起きるとされています。似たような症状に拮抗失行などがあります。

また、頭頂葉から後頭葉の領域の損傷でみられるとされる観念失行という症状は道具を適正に使用しようとしても、道具をつかう動作が誤った運動になったり、違う道具の使用方法をしてしまったりと適正に使用することができない状態を指しています。

これらの症状は「意志」と行動選択が必ずしも一致しないという事実から、「意志」とは無関係に運動/行為のプログラムが存在していることを示しているといえます。

さらにそのことは、「意志」が運動プログラムを生成しているというわけではないことを表すひとつの例だと言うことができるのかも知れません。

それらのことを考えると、運動/行為は外的環境情報と情動や身体図式を含む内的環境情報が前頭連合野に送られると、意識下の情報処理として基底核との辺縁系ループで大雑把な行動の選択が行われ、さらに無意識下でその行動の方針に沿ったいくつかの運動/行為のパターンが生成されて、最後に高次運動野と基底核のループによって選択されてきた運動の出力が(しつこいようですが)無意識下に行われていると考えられます。そしてその出力のエファレンスコピーがどこか(おそらくその一部には前帯状皮質と頭頂側頭連合野への投射があると思います)に送られることで意識がその運動出力をしたことに気付いて、もっともらしい理由を作り上げると言った具合なのではないかと推測することができます。


 

そういう視点から考えると、随意運動(意識に随った運動)という物が果たしてどれだけあるのか?という疑問もわいてきますね。

少なくとも片麻痺などの運動麻痺を随意運動の障害ととらえるのは難しいのではないでしょうか?

適切な表現をするとすれば、「無意識下の情報処理において頭頂側頭連合野および島葉による外的環境および内的環境情報処理から高次運動野で生成されるべき運動/行為のプログラムの障害、もしくは高次運動野によって生成された運動/行為のパターンから環境に適応する出力を選択する機能の障害」となるのではないかと思います。

想定しにくいですが、一次運動野もしくは内包あたりの限局した外側皮質脊髄路(一次運動野からの下降路)の損傷であれば、「運動の最終出力経路の損傷による麻痺」と言うことになりますので随意運動障害も存在すると言っても良いのかも知れません。無意識下の運動とともに意識した運動さえも出力されないことになりますから。

12/17 思考遊びの続き・・・

上記のことがある程度真実であるとすれば・・・(多分だいたいあってると思うのですけれど)

プログラムを形成するのはあくまで環境刺激が脊髄や脳などの中枢神経系に送り届けられて、身体が重力に対してどのような状況にあるのかという情報がきちんと統合されて身体図式が形成されることが必用です。それは姿勢制御に関わってきます。そして、姿勢制御により安定した頭部が、外的環境(物体)との位置関係を無意識下で安定して知覚できるできるようにします。それが頭頂側頭連合野の情報処理を安定させて前頭連合野との相互連絡によって外的環境に対するいくつかのプログラム生成(想起)を行うことになります。

ですので、適正な感覚入力とそれに対する姿勢制御の獲得は環境知覚と多彩な行動/運動プログラムの生成に重要だと言うことがいえると思います。

その上で、何かしらの活動が起きることになるのですが、上記の条件があれば、その時に高次運動野と基底核のループがいくつかのパターンから環境に適正な行動/運動パターンを選択するように支援していくことができるようになります。その経験が運動/行動パターンの多様性を支える事になるのだと推測することができます。

何かしらの課題を設定するのはそれらの条件が整った際か或いは設定した課題に対して上記の条件を整えるようにしていかないと患者さんはステレオタイプな反応の中で運動学習を起こして行くことになりますので、環境適応性としてもステレオタイプな物・・・特定の形に外的環境を準備しなければ行為や動作が成立しないという事になるのではないでしょうか?

だとすれば、アプローチにおいて感覚入力と姿勢制御は非常に重要な要素と考えることができます。それだけではダメかも知れないですが、それ抜きでもダメかも知れないと言うことができると思います。

意識が後付けで起きる以上、課題を先行させるというやり方は無理があるのかも知れません。

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