最近、テレビでよく見かけますよね。
このコマーシャル。
youtubeにあったので動画のURLを貼り付けておきますね。
これは、ちょっと違うのだと思うのですね。
まず、偏見の意味から。
偏見とは、偏った見方/考え方のことで、ある集団や個人に対して、客観的な根拠が無しに抱かれる非好意的な先入観や判断のことを云います。
ここでポイントとなるのは、偏っていると云うこと、客観的な根拠が無いと云うこと、非好意的であると云うことの3点です。これがそろった時に「偏見」と云えるのです。
まず、画像として貼ったもので少し解説をしてみます。
赤ちゃんが「おぎゃー、おぎゃー」と泣いている状況です。
空を見るとお天気が良さそうですよね。少なくとも夜ではないので、日中です。
洗濯物が干してあります。洗濯物の数から考えるに大家族では無く、核家族でしょう。
どちらかの親は仕事に出かけている時間帯ですから、大人がひとりと赤ちゃんがひとりといった状況に思えますね。
泣いている赤ちゃんに向けてと思われる言葉が書いてありますね。
「はいは〜い。今行くね〜。」
日中で赤ちゃんが泣いている、大人がひとり、赤ちゃんがひとり。
今の日本の社会では、男性の親が育児休暇を取ることは認められているものの、その権利を使っている男性はごく少数です。
少なくとも私が勤めていた病院では、男性の育児休暇は申請しにくいムードがありました。
また、私の家のご近所さんにおいても、こういった場面では母親の声を聞くことが多いのです。
私はそういった知覚経験をしてきたことになります。
すると、こういうシーンでは脳の皮質と基底核がやり取りをしながら母親のイメージを強めることになります。これは、好意とか非好意とはまったく無関係な情報処理システムに寄っています。しかも、脳の情報処理上の根拠は存在しているわけです。
偏った見方なのかも知れませんが、少なくともこの時点で「偏見である」とは言えませんね。
ここまで書いていたらお気づきのかたもおられるかと思いますが、これは認知バイアスです。認知バイアスは、物事を素速く情報処理して環境に適応するための脳の情報処理システムの特長です。認知バイアス自体に善悪があるわけではありませんよね。人間には必ずある情報処理システムの特長です。
むしろ私は、ほのぼのとした空気感に好意に近い感覚を持ってしまいますしね。
問題かここからなのです。
ACジャパンは、これを偏見〜偏っていて客観的な根拠が無く非好意的な判断であると仰っておられるわけです。
このコマーシャルを見て、私のように違和感を感じる人もいれば、何も思わず見過ごす人、そうだなぁと同意する人などがおられることと思います。
見過ごす人、同意する人に関しては、無意識下に、そういった情報処理システムが悪いものであると言語を用いた意識に記憶させることになります。
多分ですが、これが偏見の始まりなのです。
つまり、元々偏見の無い人に、偏見という意識を植え付けるようなやっかいなCMであると私は考えてしまうのです。
現在、良く取り上げられるようになっている受動意識仮説では、言語化される前の情報処理はすべからく無意識下のものであって、そこには良いも悪いも無いわけです。
それら無意識下の快適とか不快であるといった情動の情報処理に言語で理屈をつけて意識化された時になにかしらの好意や非好意などという感情が産まれるのです。
ですので、「無意識下の偏見」という言葉自体が成立しません。
「偏見」とは言語化され、意識に上った際に取り上げられるべき問題なのです。
こういった筋道のおかしな情報を公共の電波で不特定多数に届けるような行為を、「情報操作」と呼びます。
なぜ、こういった情報操作が必用であったのかという事が気になりますけれど、それはACジャパンに聞いてみないと解らないので、これ以上調べる気はありませんけれどね。
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