人類が言語というコミュニケーション手段を手に入れたのはずいぶん昔のこと。
いま、人類はインターネットという道具を持って言語より大きな規模で相互的な意思のやりとりをする手段を得ました。
道具は常に便利さとともに危険性も持っています。
特にインターネットは相手のフィードバックがわからない、つまりどういう感情で言葉を受け入れているのかがわからない状態で相互的なコミュニケーションを行うという点では特殊です。
人類の持つコミュニケーション手段は言語の持つ論理性と非言語的な表情や間という情報で成り立っているのに、インターネットにはそれが欠けているのですね。
その際、言語の用い方にはかなり気をつける必要があるのです。言葉だけでは伝わらないし、相手の表情で表現を変えて伝えることも出来ない。
もうそろそろ、マスメディアに踊らされて自分が意見を持ったような気になってとやかくいうのはやめたほうが良い時期なのでは無いかと思うのです。
木村花さんもそう。渡辺さんの騒動もそう。あのデモもそう。
何があったか、前後関係をしっかり理解すること無く自分の意見を言うのは危険です。
しかも相手がそれをどんな風に受け取るのかわからないわけですから。
木村さんがかわいそうだとか、渡辺さんは責められるべきでは無いとか、亡くなられた黒人の方が間違っていたとか言いたいわけでは無いですよ。
私たちが得ることの出来る情報は限られていて、一方的です。
そして、仮に彼らが間違っていたとして、それを責める事が出来るだけ私が潔白な人生を歩んでいるとも思わない。
Wovon man nicht sprechen kann, darüber muss man schweigen.
時には沈黙を。
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