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執筆者の写真Nagashima Kazuhiro

京極堂

京極夏彦さんの久しぶりの長編、京極堂シリーズの最新作を今読んでいるのです。といっても、時間の合間に少しずつなのですけれど。

今、208ページ。829ページまでですので、現在1/4ぐらい。

面白いのです。

ちょっと引用します。関口くんと言われるキャラクターのセリフです。


「手が勝手に動くとか謂いますが、それだって、動けと命令しているのは脳です。ただ、ものを考える部位とは違う部位が命令しているんだと思いますけども。臓器などは不随意筋ですが、それだって各々勝手に動いているわけではないですよ。それぞれが影響し合っているにしろ、それを一つの生き物に統合しているのは脳でしょうから。随意、不随意というのはあるんでしょうけど」

不随意というのは意のままにならないと云うことだろう。それでも統御されているのだ。そうでなければ人は生きられないだろう。統御していても意のままにならない、そうした領域があるというのだろう。

だが。そうなら。

統御しているのは、何者なのか。



今回、関口君はかなり雄弁です。途中、本人が友人(中禅寺)の影響もあって話すようにしているとの発言もあったりして。


面白いですよね。

不随意運動という言葉の使い方が、現在の医療とは異なっている感じはしますが、意味的には現在の自動運動といわれるものでしょう。

しかし現在の脳科学で云われているものをすでに反映いている感じがしますね!

意識と言われる領域と運動を起こす領域が別々に存在しているという知見はすでに小説で表現されるぐらい一般的な知識であると言えそうです。

実は、脳の活動の不思議を描いた作品に、「脳男」という小説がありまして、これも読んだことがあるのですが、この小説の主人公は新皮質ですべてを制御するような描写があって、それが納得できなかった記憶があります。私の理解では、それは絶対に無理な話だったのです。小説としては面白かったので読み切ったのではありますが、皮質で制御している描写が気になって、ストーリーが素直に入ってきませんでした。


鵼の碑はいいですねぇ。

面白い。







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