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執筆者の写真Nagashima Kazuhiro

まじない

「呪い」には二通りの読み方があります。「まじない」と「のろい」ですね。

これから各文章は「呪い」で統一して書きますので、どうぞ文脈を読みながら「まじない」「のろい」というふたつの言葉を適当に当てはめて読んでください。


私中学生の時、体育の授業で非常に興味深い体験をしたのです。

体育の授業で行っていたのは、前方倒立回転飛び。跳び箱に手をついて倒立して回転し、着地するという課題です。



その時の体育は女子と男子が別々で、体育館の真ん中に網でパーテーションを作ってやってました。


最初の頃は、そんなに問題なく出来ていたのです。

在る時、スピードが足りなかったのか、跳び箱ギリギリでお尻が少し跳び箱にかすりながら着地をしたんですね。

その後も何度かやっていたのです。


跳び箱を跳び終えた時に、ふと網のパーテーションのそばを通った際、女子から声をかけられたのですね。

「さっきの危なかったね!」って。最初何を言われたのか気が付きませんでしたが、少し話して、どうやらお尻が少しかすった時のことだと気が付きました。


その次の前方倒立回転跳び。

出来なくなっちゃいました。

別に「怖い」と意識されたわけではなくて、別に出来るだろうと思っていたのですが、跳び箱に近づくと身体が止まっちゃうんですね。「怖く」ないのに。

その後一回も出来ませんでした。(^_^;)


今考えると、これは、きっと「さっきの危なかったね!」という言葉が記憶され、前方倒立回転跳びの運動プログラムが基底核ループ内にあるにもかかわらず、そのパターンが選択されなくなったのだと思うのです。


言葉とその記憶による行動の無意識下の制御。

これってあると思うのです。

呪いですね。


例えば、街中で「永島さん!」と声をかけられたら立ち止まって振り返っちゃいます。

「ナガシマ」という単語(名詞)が持つ無意識下の行動制御ですね。

これも、最も簡単な呪いだと思うのです。


子育てをしていると、結構用いているはずなのです。

「歩道ではきちんと左右を見てからじゃないと危ないよ」

と云うのも、一種の呪いでしょう。

「人を傷つけてはいけない」とかもそう。

まぁ、子育てだけではなくて、一般社会の中でも結構使っているはずです。

まだ病院で仕事をしている時、部下のご家族が家の裏の崖から落ちて入院されたことがあって、その時には「家の裏の崖には決して登らないでください。」と呪いをかけておきました。記憶に残っているかぎり、登らないか、登る際は充分に気を付けてもらえることを期待した「呪い」のつもりでお話をし、私の考える呪いの意味と、家の裏の崖に登る際にふとこの言葉を思い出すだけでその呪いは有効であることもお話ししたりしました。


言葉による、無意識下の行動制御を引き起こさせる呪い。


呪いも結構有効に働く場合があります。

人を傷つけるための呪い。それをその人に伝えることで、起こった出来事をその呪いの性だと思わせることが出来れば呪いは成立するものだと思います。

たとえば、「貴方には不幸なことが起こる」と伝えたとします。

で、たまたま庭を歩いている時に草に足が引っかかって転んだとしましょう。このとき、「あ、これが不幸なことなのかな。」と思ってしまった場合は、呪いは成立しているのです。占いとか性格診断などはこういった手法ですよね。

これらの呪いは、余り好ましいものではないですよね。


リハビリテーション医療においても、結構こういった呪いや呪いを用いること、或いは用いられることがあります。

たとえば、

「出来ますよ、お手伝いしますからやってみませんか」と云った呪い。

「麻痺は絶対良くなりませんよ」といった呪い。


それぞれ有効に働きますし、働いてしまうのだろうと思うのです。


どうせなら、「呪い」ではなくて、「呪い」を使いたいなぁと。

そんな風に思っているのです。






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