随意運動についての質問がありました
- Nagashima Kazuhiro
- 2021年1月26日
- 読了時間: 4分

以前書いた随意運動について質問がありました。
この質問は昔、私自身混乱していた部分でもあり、ちょっと考えてお答えしてみたのですが、わかりやすいかもしれないと思ってアップします。
まず私が以前混乱していた事についてです。
リベットの実験にしてもその後の追従実験にしても、動きが始まる前に運動前皮質が興奮が見られていたり、右手か左手の役割分担を選択する時、動きが始まる前に補足運動野が興奮することは既に一般常識だと捉えていました。(補足運動野や運動前野が興奮すればここで運動に先行してコアのローカルシステムに出力が起きることになります。)
ですので実験は当たり前の事を追認していただけではないかと考えていたのです。
ですが、本当の問題はその認識(意識化)が後から起きているという事実だと気付いたのが最近なのです。
以下がいただいた質問です。
「随意運動について
動作始める7秒前に運動プログラムは出来上がっている?的なやつだったようなことが書いてありました。
pAPAsより前のASAs?みたいなやつですか?
7秒前には運動プログラムが決まっているってことですか?」
で、回答です。
行為のプログラムが作られてそれが意識に上るのに7秒程度の時間がかかるというように理解すると良いと思うのです。単純な要素的運動に関してはリベットの実験では0.3秒前です。
ここで言う意識は覚醒状態のことではなくて「自分の今ある状態や、周囲の状況などを認識できている状態のこと」を指します。
例えば職場の廊下を歩いていて大好きな人が視野の中に入ったときに、ふと目で追いかけたりした経験がありますか?
目で追いかけた後、好きだから目で追ってしまったのだと気付いたり、気恥ずかしくなって視線を無理に外したり。辺縁系(側座核?)の情動に関わる部分でさえ意識化は後からおきます。
考えてみてください。脳の神経細胞一つ一つには意識と呼ばれるものはおそらく存在しないですよね。基底核や小脳にも意識と呼ばれるものは存在していないです。
したがって、前頭葉と基底核のループが環境に対して一定の対応するプランを構築したとしてもそれだけでその対応するプランが意識に上ってくるわけではありません。
意識とはまだ様々な論議がされている最中で、意識と心のハードプロブレムと呼ばれる部分です。
色々な本に目を通すと、どうやら意識とは脳の局所の情報伝達では出現せず脳全体が協調性を保った情報伝達を行った際に出現するようです。
7秒前というのはこの記事を引用したところですね?
個人的にはこの表現は間違っていると思います。
「意識による判断の7秒前に、脳が判断」ではなくて
「脳の判断が意識に上るのに7秒が必用」が正しいのです。
随意運動におけるAPA'sは意識に上らない運動前野の興奮性が脳幹網様体に下降して起きているので、運動を起こそうと意識するずいぶん前に準備されていることになります。
大好きな人が視野に入ったときに無意識下で視線で追うためには頭を持ち上げるための体幹活動が先行していないといけませんよね。
例がわかりにくかったらごめんなさい。
無意識下の運動や行動を随意運動と呼ぶかどうかは悩ましいですね。ただ脳のそういった働きを含めた上で随意運動と呼ぶのであれば僕は納得しますけれど。
もし意識化しなければ随意運動と呼ばないのであれば随意運動と呼ばれる運動はかなり限局した場面でしか見られないものになると思うのです。
服を着る際に手を袖に通す動作などは高度に自動化されている動作ですから意識化されることはあまりありません。意識化されるとすれば、痛みが出現したり何らかの理由で手が通らなかったり。或いはいつも手を通すのが難しかったりする等の場面です。
意識化されたものを随意運動と呼ぶのであれば、随意運動と呼ばれる多くの運動は結構しんどい気がします。
(写真は記事内容とは関連がありません)
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