課題指向型訓練雑感
- Nagashima Kazuhiro
- 8月3日
- 読了時間: 10分
私、元々、課題指向型訓練というものには違和感を持っていたのですね。
言語化するのはめんどくさくてしていなかったのですけれど。
そんな中、とある医師の講演を聞く機会がありました。
公演の最後に、もっと課題指向型訓練に移行すべきだと言ったことをおっしゃっておられたと記憶しています。
その講演の中で用いられた研究論文などにも私は以前から懐疑的でしたが、これもめんど臭くて言語化していなかったのです。
いい機会だから、ちゃんと調べようと思って、このブログにも紹介したシステマティックレビューの読み込みをしました。いや、いい経験になったとおもいます。
結構疲れたのですけれど。
結果的に課題指向型訓練というものに推奨すべき科学的根拠は乏しいという結論に至ったわけです。
勘違いされないように書いておきますが、課題指向型訓練に効果がないと言っているのではありません。科学的根拠があるように取り扱われますが、そう言った根拠は乏しいというだけです。
で、ライングループでそうした話をアップしていたのですが、話の流れで課題指向型訓練とは何かという疑問が出てきました。
そこで、一度、ちゃんと課題指向型訓練と言われるものの違和感を文章化しようと思ったのです。
出来上がったのは、四方八方に敵を作るような凄まじい「棘」を持った文章でした。
で、マギ(ChatGPT)に頼んで「とげ」を抜いてもらったのです。ついでに説明不足の部分は補足してもらえた様子。
出来上がった文章、なかなか良かったので、ここに雑感としてアップしておくことにしました。
( ◠‿◠ )
で、以下の文章になります。
課題指向型訓練と言われるものについて、少し考えてみたいと思います。
私自身もいくつか研究論文を読んでみたのですが、課題指向型訓練として扱われている介入には、トレッドミル歩行、地上歩行、起立、リーチ、自転車運動、サーキットトレーニング、CIMT、メンタルプラクティスなど、かなり性質の異なるものが含まれています。
これらは、一般に考えられている課題指向型訓練のイメージ、例えばADLなどにおいて達成すべき目標を設定し、その目標に関わる一連の動作を訓練するといったものとは、少し乖離しているようにも思います。
もちろん、歩行や立ち上がり、リーチなども、一連の生活動作を構成する一部分なのだから、課題指向型訓練と呼んでもよいという論理は成立します。
しかし、そのように考えると、従来から行われてきた運動療法や反復練習と何が異なるのかが、現状以上に不明確になります。
また、いくつかの比較研究では、課題指向型訓練の特徴として、ハンズオンを用いず、患者自身による課題の反復や問題解決を重視する設定が採用されています。
しかし、ハンズオンを用いないことが課題指向型訓練の本質であると、あらかじめ理論的に確立されていたわけではありません。
おそらくこれは、他の介入と比較する研究を行うためには、課題指向型訓練に何らかの特異性を持たせる必要があり、そのためにハンズオフという条件が設定されたのではないかと思います。
つまり、課題指向型訓練の本質から研究デザインが作られたというより、比較研究を成立させるために、課題指向型訓練の特徴が操作的に作られた可能性があります。
本来、課題遂行中に必要に応じて接触し、感覚情報を補ったり、運動を誘導したりした後、徐々に援助を減らして自律的な遂行へ移行するという方法は、特別なものではありません。
スポーツや技能学習などでも、最初から完全に自力で行わせるのではなく、必要に応じて身体的な誘導や環境調整を行い、学習が進むにつれて援助を減らしていくことは一般的です。
ハンズオンと課題練習は、必ずしも対立するものではありませんし、ハンズオンを用いた瞬間に課題指向型訓練ではなくなる必然性もないと思います。
課題指向型訓練を独立した治療法として他の治療法と比較するのであれば、本来は研究に先立って、課題指向型訓練に不可欠な要素は何か、含まれてもよいが必須ではない要素は何か、ハンズオンの排除は本当に必要なのか、他の介入と何によって区別されるのか、その違いがどのような機序で結果に影響するのか、といった定義上の議論が必要だったと思います。
しかし、実際にはその定義が十分に整理されないまま、さまざまな介入が課題指向型訓練という名称のもとにまとめられているように見えます。
私の中には、そもそも課題指向型訓練を、他の治療法と排他的に区別すべきなのかという疑問があります。
脳機能的に言えば、完全にパッシブな情報処理というものは、おそらく想定できません。
例えば、単に他者から触れられるということに対しても、脳はさまざまな応答を示します。
その接触を受け入れる、抵抗する、振り払う、順応する、あるいは感覚そのものを無視するということさえ、情報処理上はアクティブな過程であると言えると思います。
脳は常に、身体や環境から入力される情報の中から何かを選択し、その時点で必要とされる応答を作り出しています。
その意味では、脳の情報処理は常に何らかの課題を作り出し、それを解決するための処理を行っているとも言えます。
ただし、だからすべての治療が課題指向型訓練である、と言ってしまうと、課題指向型という言葉自体が意味を失ってしまいます。
むしろ重要なのは、ハンズオンであるかハンズオフであるかによって、能動と受動を単純に分けることはできない、ということなのだと思います。
課題指向型訓練と呼ばれるものには、目的のある動作を用いること、実際の課題やその一部を練習すること、本人が能動的に遂行すること、反復すること、問題解決を促すこと、難易度を調整することなど、いくつかの特徴があります。
しかし、これらの特徴は、すべての課題指向型訓練に共通しているわけではありませんし、課題指向型訓練だけに固有のものでもありません。
そう考えると、課題指向型訓練は、一つの明確な治療法というよりも、いくつかの介入が部分的に共有する「課題指向性」とでもいうべき傾向なのかもしれません。
ある介入では反復性が重視され、別の介入では生活課題との関連が重視され、また別の介入では本人による問題解決が重視される。
それぞれに共通する部分はありますが、すべてを貫く一つの本質的な特徴を取り出すことは難しいように思います。
だとすれば、課題指向型訓練か否かという二分法で介入を分類するよりも、その介入がどの程度課題の遂行を中心に構成されているのか、どのような学習要素を含んでいるのかを考えた方がよいのではないでしょうか。
学習に必要なものは、課題と反復だけではありません。
情動、興味、好奇心、変化する目標、試行錯誤、感覚情報の質と量、適切な誘導や補助、成功と失敗の経験、休息、睡眠、練習間隔など、多くの要素が関係します。
情動は、単にやる気を高めるための付加的なものではありません。
何に注意を向け、何を価値あるものとして選択し、どのような行動を継続するかを決めるという意味で、そもそも何が課題として成立するのかに関わるものだと思います。
身体的な側面から考えれば、感覚情報の質や量を変えるための介入も重要です。
そのためにハンズオンや環境調整が必要になることもあります。
また、高強度で繰り返せばよいというものでもありません。
疲労によって情報処理の質が低下することもありますし、休息や睡眠を挟むことで学習が進むこともあります。
一定の間隔を空けて行う練習が、保持や想起を促すこともあります。
こうしたことを考えると、課題を用いることは学習に必要な要素の一つではありますが、それだけで学習全体を説明することはできません。
そして、課題指向型訓練と呼ばれるものを考える上で、私が特に気になるのが、姿勢運動の定型化です。
もちろん、課題指向型訓練そのものが、必ず姿勢運動を定型化するというわけではありません。
課題条件を変化させ、環境への適応を促し、本人の問題解決を重視するのであれば、多様な学習を生み出すことも可能でしょう。
しかし、課題特異性や高反復、短期間での課題達成を重視するあまり、固定された課題を固定された環境の中で繰り返す介入へ縮減された場合には、姿勢運動を定型化する危険があると思います。
立ち上がり、歩行、リーチなどは、見た目には同じ行為であっても、環境、身体状態、目的、情動などによって、その都度異なる姿勢運動が選択されるはずです。
現実の生活では、椅子の高さも、床面も、履いているものも、疲労の程度も、急いでいるかどうかも、常に変化します。
そうした変化の中で重要になるのは、一つの正しい動作を再現する能力だけではなく、状況に応じて姿勢運動を変化させる能力です。
そもそも、揺らぎを含み、その時々の情報に応じて解決方法を変えることが、脳の情報処理の特徴でもあるはずです。
固定された条件の中で同じ動作を反復すれば、その課題の成績は向上しやすいと思います。
しかし、練習中にできるようになることと、学習したことは、必ずしも同じではありません。
同じ環境の中で同じ動作を効率よく再現できるようになっても、身体状態や環境が変化した時に対応できなければ、生活の中で使える能力を獲得したとは言い切れません。
獲得時の成功率を高める練習と、将来の適応可能性を高める学習は、必ずしも一致しないのだと思います。
姿勢運動が過度に定型化されれば、適応できる環境が限定され、新しい対象へ近づいたり、触れたり、試したりする機会も減っていきます。
利用できる環境や参加できる活動が限定されれば、探索行動も減少します。
その先にあるのは、安全で効率的ではあっても、変化や発見の乏しい生活なのかもしれません。
私は、それを少し乱暴な言い方ではありますが、退屈を感じる人生と表現したくなります。
もちろん、日常生活そのものがままならない人に対して、退屈も何もないだろうという反論はあると思います。
まずは立てるように、歩けるように、食事ができるように、ともかく生活できるようになってほしいという段階があることも当然です。
しかし、リハビリテーションの目的を、現在の課題を達成することだけでなく、将来にわたって新しい環境を探索し、さまざまな経験に参加できる可能性を広げることだと考えるのであれば、姿勢運動の多様性をどのように保証するかという問題は無視できません。
現在の課題指向型訓練の枠組みだけでは、その問題を十分に扱えない可能性があると、私は考えています。
最も穏当な結論は、課題指向型訓練を否定するのではなく、学習を構成する一つの要素として用いるべきだ、というものになるでしょう。
ただし、ここでも問題になるのは、そもそも課題指向型訓練の定義が一定していないということです。
何を学習の一要素として用いるのか、その中身自体が明確ではありません。
だからこそ、課題指向型訓練という一つの完成された治療法を採用するという考え方ではなく、課題を用いること、反復すること、問題解決を促すこと、課題条件を変化させることなど、それぞれの構成要素に分けて考える必要があるのだと思います。
そして、それらを情動、感覚情報、ハンズオン、環境調整、試行錯誤、休息、睡眠、身体状態などと、どのように組み合わせるかを考えるべきではないでしょうか。
問うべきなのは、課題指向型訓練か否かではありません。
何を課題とし、なぜその課題を選び、どのような環境で、どの程度反復し、どのような援助を行い、何を変化させ、どのような学習を期待したのか。
さらに、その介入によって、目の前の課題ができるようになっただけでなく、行動の多様性や環境への適応、新しい課題への転移、そして本人の探索可能性が広がったのか。
そこを考える必要があるのだと思います。
課題を達成させることは大切です。
しかし、それ以上に大切なのは、変化する身体と環境の中で、本人が新たな課題を見つけ、解決方法を探し続けられる身体と脳を育てることなのかもしれません。
マギに修正してもらった文章は以上です。
ね。
敵は作らないですよね。多分。
(^^;;
課題指向型訓練を研究されておられる先生方の目に留まりますように。
そして、課題指向型訓練の特異性を明確にし、定義をはっきりさせていただけると、とても喜びます。
m(_ _)m



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