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芸術の本能

執筆者の写真: Nagashima KazuhiroNagashima Kazuhiro

今日は午前中に大山で紅葉を見てきました。

芸術の秋ですね。上の写真は紅葉を見に行くときに一番好きなポイントでよく行く場所です。

今日の「いんすぴ!ゼミ!」はガザニガの「人間とはなにか」下巻の芸術の本能というところでした。

芸術の定義は難しそうでした。ちょっと解ったのは芸術には美しいと感じるものを指す場合と、ステータスとしてのものを指す場合がありそうだと言うことです。

ステータスとしての芸術はとりあえずちょっと横に置いておいて、美しいと感じるものとはどういうことなのかというお話は大変興味深いものがありました。

どうやら、それを美しいと表現するか否かは置いておいても、視覚的な好みには生物学的な基盤、つまり動物として共通項が見られるようなんですね。それは”対称性/規則性/リズミカルな模様”などのキーワードで示されていました。

どうやらそういう視覚刺激は脳の処理がしやすいものであって、そういったものを好む傾向があるらしいです。

それらの刺激に対してポジティブなイメージを持つとも書いてありましたが、好むと言うことは脳の中は報酬系が働いていることでしょうからそれはそうかと思ったりします。

そういった基盤があって、さらに経験や記憶などで修飾されているのだろうと思いながら読み進められるのを聞いていました。


ところで、それってどんな意味があって「好む」のかと言うことを少し考えていたのです。一定の刺激を好むと言うことは、動物にとって視覚刺激に対する指向性が必要だと言うことになると思うのです。それは、もしかすると広範囲を移動する動物にとって視覚的な指向性というのは場所を憶えたりするのに利用されるのでは無いかと思ったりします。

餌場であったり、すみかであったり、必要なものがある場所であったり。そういった場所を記憶しておくことは生存に直結するのではないかと。そういった事を記憶するきっかけとして視覚的な指向性は生じているのかなぁとぼんやり考えていました。


芸術という意味では25万年前にホモ・エレクトスが作った手斧には彫刻があって彫刻の中央部分に化石が組み込まれていたそうです。さらにその手斧は手斧として使用された形跡がなかったと。

う〜ん。

手の構造的な変化があってそれで色々試し始めたのかなぁと思ったりしたのですが、人類の手は50万年前にすでに完成していたらしいです。

やはり何らかの違う要因があって芸術的な活動が始まったと考えるべきなのかもしれないですね。


そうそう、今日沢山写真を撮っていてふと気がついたのですが、私は「道路」が好きみたいなんですね。上の写真にある山もよく写真を撮っていました。山ばかり撮っていて何だか物足りなさを感じていたのですけど、道路を入れてみたらやけにしっくりきたんですね。

この山に至るまでも車を止めながら写真を撮っていたのですけど、結構道路を撮ってました・・・


せっかくですから大山の紅葉を楽しんでいって下さい。










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