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執筆者の写真Nagashima Kazuhiro

研修会の報告です



なにかの縁があったのだと思うのですが、南草津病院の研修会に立て続けに参加させていただいています。

今回は、上肢にまつわる話でした。


最近、手が動かしたいというニーズや動かないという思いにたいして手が動いたという事が、手が使えるかも知れないという可能性を示すことになって強い動機付けになる様な印象を受けています。立位や歩行では上肢の姿勢制御や運動制御が関わっていると言うこともあるのですが、歩容を変容させるために積極的に上肢に関わるようにしています。OTなんだから最初からそうしろという意見は取りあえず却下させてください。こう考えに至るには経験が必要だったのです。(^^;


今回の研修会では症例のプレゼンもあったのですが、視床損傷の話が多かったです。

視床だと感覚障害が起きやすいですし、基底核の視床投射がなくなると抑制が効いていなくて高緊張になるか損傷が激しすぎて内包も絡んで持続する低緊張となるか。さらに酷いと上向性網様体路が機能しなくて持続する意識障害(睡眠と覚醒の問題)や浮腫などによる脳全体の圧迫で認知機能の低下。イロイロでちゃうので難しい❗

以前勤めていたときは急性期病院だったのでたくさんみていたのですが、1年以上離れていたので新鮮な気持ちで話をお聞きしていました。

視床は垂直軸の知覚にも関わっている部分があるので、姿勢制御も難しくなる場合が多いです。

そういえば、両手を対照的に床面につけてCHORを知覚させていくと姿勢が整いやすかったような・・・。


感覚の検査が話題に出ていて印象的でした。

言われてみればそうだと思ったのですが、感覚の検査は、本人にわかるかどうかを聞くわけですから本人の主観が重要になるのです。しかし、主観とは意識化されたものですから。

人は無意識下の感覚処理もたくさんしていますよね。

垂直軸の感覚も無意識下ですし、皮膚の感覚も普段は意識しない感覚、たとえば吹いている風の感じや温度なんかも極端なものでなければ意識に上りませんよね。

そもそも、「意識」とはなにかという問題もあります。

そういった意味では、感覚検査で表現できない「感覚」も存在しているのですから表現するのは本当に難しいですよね。

そういった視点から臨床的に考えると感覚の検査にだけ頼るとわからないことも多いのです。

だから、動きの中で感覚がどのように処理されているか判断(臨床推論)することがとても大事だと言うことを再認識させていただきました。

他のいくつかの疑問も、理解できた部分がありました。

そして新たな疑問もでたりしながら。


研修会でも話されておられましたが、きっと答えは臨床の中にあるのでしょう。

久しぶりにこういったディスカッションをさせていただいてとても楽しい経験でした。


主催する南草津病院のスタッフの皆様、ありがとうございました。

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