感覚/知覚/認知とは何か

更新日:9月9日

研修会の時に感覚/知覚/認知の意味を質問されました。

悩ましい言葉の問題ですよね。

何を感覚に分類し、知覚とは何か?認知とは?

古代ギリシャ時代に哲学者のアリストテレスが感覚を初めて分類し、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の5つがあるとしたそうです。これが現在知られる五感と言われるものだそうです。

さらにアリストテレスは、例えば「薔薇の甘い匂い」という表現を例にとると甘さは味覚で匂いは嗅覚ですが、味覚と嗅覚を合わせてバラの花などに結びつくような感覚様式を共感覚と言ったようです。

今で言えば知覚と言われるものに近いのかもしれません。

で、感覚に対してはのちに生理学的に各種の感覚受容器が見つかり哲学で生まれた分類を裏付けるように発展していきます。

現代においてもまだわかっていない感覚もあることが指摘されていて、痒みとかそうらしいです。

他に近年言われている感覚としては、時間の感覚などもありますが、重力覚もそのうちの一つでしょう。重力に関しては前庭感覚が以前から言われていましたが、最近ではグラビセプターという受容器が内蔵(小腸や腎臓、その他)に存在していると言われています。他におそくら腹膜からの感覚入力などもその感覚を支えているものと思います。

感覚の分類も一筋縄ではいきそうにないですね。

知覚とは何か。

ウィキペディアによると、

「知覚(ちかく、英語: perception)とは、動物が外界からの刺激感覚として自覚し、刺激の種類を意味づけすることである。 視覚聴覚嗅覚味覚体性感覚平衡感覚など、それぞれの感覚情報をもとに、「熱い」「重い」「固い」などという自覚的な体験として再構成する処理であると言える。」

としてあります。

これはアリストテレスの言う共感覚ですね。

やはり共感覚は知覚という言葉の概念形成に関わっているようです。

では、単一のものを感覚というカテゴリーにおいて、複数の感覚様式を使用した自覚的な体験を知覚のカテゴリーに置くのであれば、認知とは何かという疑問が湧きます。

認知とは外的環境を知ることなのでしょう。

しかし、外的環境を知るためには自身が外的環境の中でどのような位置でどのように存在しているかと言う基準が必要です。

それは自身がどのような位置でどのように存在しているのか〜自己身体認知と呼ばれるものかもしれません。

自己身体認知は身体保持感と運動主体感覚によって成立すると言われています。

身体保持感は場所的に言えば角回あたりでしょうか。角回を刺激すると体外離脱が起きるそうですから。

そして、運動主体感覚は縁上回と腹側運動前野の上縦束による回路が関わっていると指摘されています。

角回/縁上回、下頭頂小葉は厄介ですよね。あらゆる情報を集約して運動関連領域に情報を送りつつ、同時に運動関連領域からの情報を受け取っている。

さて、ウィキペディアによれば知覚とはいくつかの感覚情報を元に自覚的な体験として再構成することとあります。知覚のためには自覚的な体験が必用で、自覚的な体験には身体認知が必用なわけです。

うーんまとめると・・・

外的環境を知るためには、身体認知が必用とされ、身体認知には外的環境から入力される感覚が必用で、身体認知が知覚を支えているようだけど、知覚が身体認知をつくっている。

・・・まとまらないですね。

私は思うのです。感覚/知覚/認知を明確にあるいは学術的に分類を試みるということは無理なのでは無いかと・・・。

つまり、感覚/知覚/認知の言葉の由来が哲学からであるのなら、それを理解するのは「心とは何か」という哲学的な問いに完璧に答えようとするような物では無いかと。

だから無理だと思うのです。


感覚の検査や認知の検査はよくわからない物のごく一部の情報処理を見ているにしか過ぎません。

だから、その情報を元にして脳の中でどのような情報処理がなされ、どのように、そのときにとっている姿勢や運動に至っているのか。それを推測することが大切だと思うのです。

幸いなことに反応は出力として表情や動作、姿勢に表れるはずです。それを元に推測することを臨床推論と呼ぶのだと思います。


写真の人はウィトゲンシュタイン。

「語り得ぬものについては、沈黙しなくてはならない」という有名な言葉を残した哲学者さん。


2021/07/22追記です。

どのように理解をするかと言うことではありますが。

知覚というのを無意識下の感覚統合情報処理ととらえて、認知というのを意識化された感覚統合情報処理と考えると色々理解しやすいのかもしれません。

ウィキペディアの説明とは違いますが、臨床的にはこの理解の方法の方が実用的な感じがします。意識と無意識、情報処理はすべて意識化できる物ではありませんからどこかで線引きした方が分かりやすいと思います。

ただ、これは情報処理を単純化して考えると言うことですから単純化した故に無視されてしまう情報処理もあると言うことを念頭に置いておいた上で、ということになりますけれど。


本来は、「語り得ぬ物については,沈黙しなくてはならない」ということになるけど。

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