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意識はいつ生まれるのか?

受動意識仮説のお話ですね。

何度か取り上げている話題です。(*^_^*)


受動意識仮説では、意識は無意識下でつくられる行動選択や運動選択の後に起こる情報処理であるのでは無いかと言われています。


ちょっと受け入れにくいお話かも知れないですね。


だけど、意識を伴う運動という物のためには、運動を自分で起こしたという事が解る情報処理が必用なのです。



ちょっと思い出してください。


物をなくす時。例えば、車のキーとか。何でも良いのですけど。

ちゃんと置いたはずなのに。ちゃんと片付けたはずなのに。

なくなっちゃったとかの時。


だいたい物をなくす時と云うのは、物を置く時や片付ける時、ほぼ無意識のうちにどこかに置いたり入れたりしているのです。自分でおいたところという物を意識化しないような時ですね。


この時、運動野行動選択の情報処理は行われているのですが、それが意識化される情報処理をされていないような状況が想定できます。


脳科学的には、前頭葉で行われている情報処理の結果が運動出力につながるのですが、その情報処理結果のコピーが頭頂連合野に送られています。この頭頂連合野に送られた情報と、運動結果の情報が照合されると、初めて自分で行った事であるという感覚が生じるとされているのです。

上に書いたような物をなくすと云った様な状態は、前頭葉のプログラム情報が上縦束によって頭頂連合野が発火する程度送られていない様な場合ですね。鍵をおく情報処理を行った際に、ちょうどそのタイミングで他のより優先度の高い情報処理の必要性〜例えば何か話しかけられたり,他のことが気になったりする様な場合が考えられるでしょうか?その際にはそちらのほうがより強い情報として前頭葉と頭頂−側頭連合野に送られますので、鍵の情報は弱くなってしまうのかも知れません。



自分で行ったと云う感覚がある事については意識化することができると思うのですが、自分で行ったという感覚が無い状態だと、意識化はできないですよね。


読んでいただければ解ると思いますが、意識は後で生じているのです。

言い切ったらいけないですね。

意識は後で生じていると思うのです。


ここを勘違いすると、脳損傷に限らず運動学習を必用とするリハビリテーションにおいて壁に当たってしまうのでは無いかと思うのです。


運動学習には、環境と身体情報の中で前頭葉が勝手に情報処理を行ってなにかしらの行動/運動を選択するようなプロセスがあって、それが出力情報として運動関連領域に送られるとどうじに頭頂連合野に送られます。そして、行動/運動を起こした結果の環境や身体情報の変化が上向性に後頭葉や頭頂葉に送られ、頭頂連合野で前頭葉から送られた情報と各種感覚器から上行してきた情報と照合されるという情報処理が重要なのだと思うのです。

その際に意識が生じて運動が上手くいっていたら広範囲投射系によってアストロサイトが強力に学習を進める、そんなイメージが大事なんじゃ無いかなぁと。

そう考えているのです。


クオリアと云っても良いのかも知れません。

アウエアネス、気づきとも言えると思います。


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