top of page
執筆者の写真Nagashima Kazuhiro

悪魔の証明〜エビデンスとは何か?

更新日:2021年10月27日

「悪魔の証明」という言葉をご存じでしょうか。

〜「この世に悪魔など存在しないというのであれば、それを証明してみよ。」という命題に敷衍して説明されます。証明が不可能であるという意味で使われる言葉です。

例えば、先日松江でセアカゴケグモが確認されました。

いたと言うことはセアカゴケグモの存在は証明できます。

で、セアカゴケグモを駆逐したとします。

で、松江からセアカゴケグモがいなくなったと証明しようとすると、あらゆる場所を探索していないことを調べなくてはなりませんが、ヒトが探索できる範囲で探索したとしても、絶対にすべてが探索できない場所〜高い木の枝すべてとか、小さな穴の中。川にある岩の上などが出てくるし、調べたときにいなくても、そのあとにいたりする可能性も考えると、絶対にすべてのセアカゴケグモが松江からいなくなったとは証明できないのです。

見つかると言うことと存在すると言うことは等しいと考えても良いのかもしれません。

だけど見つからないということと、存在しないと言うことは意味が違うのですね。


リハビリテーション医療における科学(医療全般、いや科学全般といっても良いかもしれないです)にはこれに類似する事は多いと思います。

例えば、日本理学療法士会のガイドラインでは、Brunnstrom stage(脳卒中の運動機能評価です) 自体の妥当性・信頼性を検定した研 究が極めて少ない。として、評価として使用する推奨グレードをB:信頼性、妥当性が一部あるものとして分類しています。

一方、SIAS(脳卒中機能表外評価セット)の推奨グレードはA:信頼性、妥当性があるものとして分類されていますが、その中にはSIAS-M と motoricity index および SIAS-M と Brunnstrom stage との相関は高く,SIAS-M の併存的妥当性が示されたとされています。

motoricity indexの研究も論文を散策すると、Brunnstrom stageとの比較から妥当性を研究していたりします。

グレードBの評価法を使って、グレードAの評価法を作っているようにも見えますね。まるで錬金術。

「信頼性、妥当性がある」と言うことと、「正しい」と言うことは意味が違うから出来た論理ですね。

(Brunnstromのグレードは、そもそもBrunnstrom先生が考えた治療体系を行うためのもので、脳損傷の麻痺の程度を評価するものではありません。今の状況をBrunnstrom先生が見ておられたらきっと火が付いたように激怒されるか失望のあまり何もおっしゃらなくなるかのいずれかだと思います。)

この件に関するこのガイドライン自体の信頼性を高いと判断するためにはBrunnstrom stageがグレードAになってしまえば良いので妥当性と信頼性を確認する必要があるのですが、そもそも脳卒中の運動機能について妥当性を考えるのであれば脳卒中の麻痺メカニズムが解明できる必要があるのですがここはまだ解らないことが多いのです。脳のことですから。

ですので、妥当性を証明できない。悪魔の証明になってしまいます。


妥当性を証明できないものを利用して妥当性のあるものを作り上げる必要がある・・・

まぁ、色々なことを学んでいるセラピストもそうではないセラピストもガイドラインにそっていれば一定の効果があるという状態を目指す必用も当然あるので、仕方のないことなのだろうとは思いますけど。

リハビリ(医療全般?)に関わる多くの事象にこういったことは見受けられます。


「科学」とは、絶対的なものではありません。

だから、より正しいものを探し求めていく必要があるのです。それが「科学」の本来のあり方なのではないかと思います。

例えばセアカゴケグモも、おそらくではありますが生物である以上個体数を増やすためには一定の場所に複数の個体が存在する必要があるのではないかと思います。

一定の範囲の中の個体密度が一定量減少すればその地域の中で種を維持することが困難であるところまでは証明できるのかもしれません。

そういった思考方法の中に科学性は存在しているのであって、何かの論文に書いてあったからそれが正しいと考えるのは「科学」と言うより宗教に近い感じがします。


〜ウィキペディア 科学より

科学に属する諸学問は科学であるが、科学そのものは科学的ではなく一種の思想であるとする意見もある。分類可能性と予測可能性は厳格なカオスを除いては一体不可分であり、もとより科学は過去の知見を元に未来を予測する性向を強く持つ。このため「科学的」でさえあれば未来の予測は正しいとの確信を招きがちである。このような確信は、論理の前提とすべき命題の不知、確率的現象やカオスの存在によりしばしば裏切られる。〜


EBMとは何か?

考えてみる必要があると思いませんか?


(個人的な印象です←ここ重要!!!)


閲覧数:50回0件のコメント

最新記事

すべて表示

Comments


bottom of page