思考遊び〜随意運動とはなにかと言うことを考えてみた

更新日:2021年12月23日



随意運動については、以前書かせていただいています。

私は「随意運動」という言葉に対して、違和感を抱いていたのです。

随意運動とは、意思に随(したが)った運動と言うことです。

運動は意志に随った物でしょうか?


「今、動こう」とする自発的なプロセスは無意識に始動することを、私たちは発見しました。[…]自発的な行為に繋がるプロセスは、行為を促す意識を伴った意志が現れるずっと前に脳で無意識に起動します。これは、もし自由意志というものがあるとしても、自由意志が自発的な行為を起動しているのではないことを意味します。(リベット『マインド・タイム』、下條訳、岩波書店)

自由意志については、様々な論議があります。ただ、現状の脳生理学を考えると頭頂連合野は無意識下の情報処理ですし、その情報を上縦束によって前頭連合野に送ると運動プログラムを生成しますが、ここも無意識下の情報処理です。生成された(或いは意識には上らないけれど想起された)いくつかの運動/行為のプログラムは基底核ループによって実際に出力するプログラムを選択され実行していきます。ここも無意識下の情報処理です。

様々なモジュールが存在していますが、それらは意識の水面下で情報処理され運動や行為を決定しているというのが、おそらく現在の脳科学が出している結論です。もちろん、その結論はこれから変わっていく可能性はあります。ただ、非意識的な情報処理による運動/行動選択と出力の存在は否定されることは無いと思います。自由意志による運動/行動選択という物が存在しうるか否かが今後の論点になっていくことでしょう。

非意識下に運動/行為が選択され実行されているとすると、運動出力が先行してその後に意識が運動/行為の意味を後付けで説明してくるということになります。

運動は意志に随っているのではなくて、意志が運動に随っているのです。



つまりあなたが誰かに右手を挙げてと言われて、今右手を挙げたとします。

あなたは「右手を挙げろと言われて、右手を挙げようと思って手を上げた」と考えるかも知れません。

しかし実際は、外的環境情報の中で「手を挙げて」という音声情報が加わることで意識の水面下で手を挙げるという運動/行為のプログラムが基底核ループによって選択されて非意識的に手を挙げることになります。意識は手を挙げていることに気がついて、音声情報があったことした事を思い出して「私は右手を挙げてと言われたから右手を挙げている。」と認識をするということになります。

疲れ果てて歩いていたら目の前にテーブルと椅子があるのを発見しました。発見した時点で頭頂側頭連合野による机と椅子の情報は前頭連合野に運ばれています。前頭連合野は椅子に座るという行動選択を意識の水面下で行います。その情報処理はあなたが椅子に座る行動を起こす前です。行動を起こした後、自分が疲労しているという内的な情報と椅子に座るという行動選択の情報、或いは椅子に座ろうとした行動その物の情報を組み合わせて、「疲れていて椅子に座りたかったから椅子に座ろうとしている。」と脳のどこかの部分が意識として自分の行動を整理することになります。

そして、椅子を引き、テーブルに両手をついて座るかも知れません。それらも椅子と机の距離や机と椅子の位置情報と座る際に起きる重心移動に対して全身の姿勢筋緊張が疲労により不足しているといった内的な情報が無意識下に処理されて手をテーブルにつくという行動選択をしているはずですが、それが意識に上ることはないかも知れません。このときに、誰かが、「なんで手をついて座ったの?」と尋ねたり、テーブルの上が手を置ける状況になければ手をつく場所などを探索するために「手をつく」という行為が意識に上るかも知れません。そのときに「疲れている