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宗教とは何か

執筆者の写真: Nagashima KazuhiroNagashima Kazuhiro

更新日:2023年12月12日





フィリピンで地震があり、津波に注意する様に報道されています。

幸い被害はそこまで大きくないようですね。


ヒトという種は、進化の過程で様々な環境変化に適応するために環境の因果関係を推測し、その推測に基づいて行動を選択することで,環境に対して適応して生存確率を高め、DNA~ヒトという種を残してきたと言えるのでは無いかと思っています。

例えば、秋が来るとその後は寒い冬になる。秋には沢山の食べ物があるが、冬には食べ物が無い。だから食べ物を保存するとか。

なんだか上手くお伝えできないですが、何となく伝わるでしょうか。

因果関係の推論と未来の予測〜科学という概念ですよね。


そういった進化の過程の中で、人は事象に対してなにかしらの理由を見つけないと不安になる様な情報処理の特徴を持ってしまったのではないかと思ったりするのです。


ところが、自然は人の脳の情報処理では理解することのできない事を引き起こしたりします。

昔であれば、月食や日食、地震、雷、台風、竜巻、津波などなど。病気やアクシデントによる怪我なども含まれることでしょう。

人にとっては、理不尽と云ってもいい様なこと。


理不尽で理由など無いとしても、人はその理由を探してしまうのです。

自分の行動や行為のどこかに原因があって、こういったことが起こされているのでは無いかと。

自然なので、そんな理由は無かったとしても、人は理由を欲するのだろうと思うのです。


自分が何か悪いことをしたから、なにかが私を罰しているのだという思考には陥りやすいですよね。

そうすると、自分を罰している者を想定する必用が出てきます。

「神様」の出番ですね。


神様の存在というのは、ヒトという種族には一般に受け入れやすい形態だと思うのです。

人が悪いことをしたら罰する。だから、良い行動をして罰を許してもらうとか、罰を受けない様にするとか。行動規範を作っていくのです。


大なり小なり、こういった経過で様々な宗教が造られていき、信仰されてきたと思うのですね。


誤解を避けるために、あえて言っておきますが、「神様は存在しない」と云っているわけでは無いのです。

人の脳は、そもそも外的世界そのものを写し取る様にはできていなくて、その人にとっての外的世界のコピーを脳の情報処理上に造っていることになるのです。

ですから、神様が居るという風に考えておられる人の脳の中では、やはり神様は存在していて、その人から見る外的世界の中にも神様は存在していることになるのです。

それはそれで大切な事だとは思います。


フィリピンで地震がありましたが、それを神の罰だと受け取る方もおられるのでは無いかと思います。

罰を受けない様に、集団での結束力を高め、役割分担によって情報を収集して危険な状況に対して集団で助け合いながら対応していく様な準備をするのは大切ですよね。

宗教というのは、ひとつの文化として社会の形に役立つところも多いのだと思います。


反面、宗教という物を人が拡大解釈していく中で理不尽なことも起きています。

現在の報道を見ていると、そういったニュースも目にする機会が多いですよね。

まぁ、宗教の成り立ちが私が考えている様な物だとすれば、神様は,金をよこせとか人を殺せと言った事を云ったりするわけは無いのです。


ところで、科学という概念も、宗教的な要素を含んでいるのだと思います。

私には、地球温暖化の議論とかはとっても解りやすい例のようにも感じますけれどね。


(^_^;)



これが私の持っている宗教観ではあるのです。




2023/12/04追記

この記事を書いた翌日(2023/12/04)こんな記事を見つけました。

私の考え方も、大筋では会っているのかも・・・。




コメント


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