妻を帽子と間違えた男


脳神経科医オリバーサックス博士のエッセイ集です。

まだ、神経心理学で多くの失行や失認が研究されていた時代の物です。

失行や失認と呼ばれる適応障害は現在は徐々に神経生理学に情報処理の問題として扱われることが多くなっていますが、その根幹を作り続けてきた医師が、非常に素晴らしい洞察力と感性でその謎に迫っていることに驚きを感じます。

WAISという知能検査があります。その中の設問の一つに言葉の意味を述べていただく検査があり、その言葉の中に「拷問」というものがありました。ある日、一人の患者さんにWAISをとることとなり、本に書いて有るとおり、「拷問とは何ですか?」と意味をお尋ねしたところ、「今先生が私にしていることです。」とはっきりおっしゃいました。採点としては0点になる回答ですが、私には充分に単語の意味を理解されていると思われた返答でした。

現在の高次脳機能検査とは、患者さんのネガティブな能力を赤裸々にしながら本人の本質とは別に数値化して一見すると障害がわかったような印象になるものです。個人的な見解ですけれど。時間をかける割りにその時間に患者さんが良くなるわけでも無いですし、患者さんは自らのネガティブな症状を目の当たりにして嫌な気持ちになっておられるという時間という、あまり有益なものとは思えませんでした。


しかし、それらの研究がどのようにされてきたかというと、医師の洞察力と感性により、その患者さんたちの人生と感受性の中で、環境がどのように見えて感じられているのかを知ることが最も大切な事だったようです。

このエッセイに書かれている医師の洞察力や感性から表現される患者さんたちの状態はとっても奥深く、意味のあるものです。

それに比べると今ある検査の類いが出す結果なんて、トイレットペーパーのように薄くて破れやすいような脆さを持つ数字たちにしか過ぎないように感じます。


以前の記事で、

「目の前の人から、できるだけ多くのことを知ろうとする姿勢こそがリハビリテーションにおいては大切で純粋な「科学」なのです。」

などと偉そうに書かせていただいているのですが、今日読み終えたこの本にも同じようなことが書いてありました。

双子の兄弟という章です。

失礼ながら抜粋させていただきます。

「双子をテストするなどという考えを捨て、彼らを研究の「対象」とみることをやめないかぎり、深い奥底にある何かあることに気がつくはずはないのである。われわれは、彼らを枠にはめたり、テストしようとする気持ちを捨てなければいけない。そして、ただひたすらこの双子を知ろうと努めなければならない。虚心に、ただ黙って、じっと観察しなければならない。」

面白いのでこの先も書きたいのですが、失礼に当たると思いますので、この先は是非この本を買って読んでみてください。


高次脳機能の検査を患者さんの経過を追うために使用されることがしばしばあります。

患者さんにはそれなりに時間をとらせて苦痛を伴うものになることも少なくありません。

それでも検査をするのであれば、それに見合う洞察とそれによるその人が感じている環境を理解してあげることがとても大切となってくると思います。そして現在であれば、それを神経生理学的な視点から情報処理としてどうなっているのかという推論と共に解決のための糸口を模索するぐらいの努力がセラピストにも必要だと思います。

決してトイレットペーパーのように薄く破れやすく脆い数字だけを見て判断してはならないのです。

それでは検査にかかった時間と患者さんの苦痛が水の泡になってしまいます。

検査をする、或いは検査を依頼されるのであれば、それを理解し、高次脳機能障害というものがどのようなものであるのかと言うことに対する知識を自分なりにでも構築して、その上で結果を分析していくことが大切です。


高次脳機能障害というものは単独で存在しているものではありません。その人の適応行動が上手くいかない場合生じてくる概念のようなものです。脳の情報処理システムの中で、卵が先か鶏が先かという答えの出ない論理の中、推論を進めていくことでやっと改善しているのか否かという結論を導くことが出来るようなものなのです。


OTはもちろんですが、新人から中堅のPTの先生方で高次脳機能について知りたいと考えられておられるかたがおられたら、是非購入して読んで頂きたい本です。



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