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受動意識仮説とクレーム

熊の出没が報道に良くでていますね。

今年は山の状態も熊の生存に適した環境では無いと言うことなのでしょうか。

こういった熊の駆除に対してクレームを入れる人がおられるようです。


熊が可愛そう。


ふ〜ん。熊に襲われる人はかわいそうでは無いと言うことなのかも知れないですね。

ヒトって結構自罰的ですから。

何かあると、自分や、ヒトという種族が何か環境に悪いことをした性だとかそういった論理をつくりがちですからね。

なにかしらの理由を見つけて安心するために、自分自身を責めやすいというか・・・。


ともかく。

自分自身や、自分の友人・家族が熊に襲われたりした経験があったりすればこういったクレームは出さないとは思うんです。

わたし、そういった経験は無いですが、熊駆除に対してクレームはつけませんけれど。


クレームをつける人というのは、クレームをつける事象以外のなにかに、クレームをつけるという情報選択を行った情報処理上の理由が存在していると思うのです。


受動意識仮説の視点から云えばクレームをつけるという行動には論理的な理屈などないのです。そして、何でも良いから、クレームをつけるために後付けの論理を脳が生成します。

つまり、クレームをつけたかっただけなのです。

なぜクレームをつけたくなったのかという所が興味深いところではあるのです。

そこが変わらないと、多分熊以外でも延々とクレームをつけ続ける人となることでしょう。


単純に云えばクレームをつけることで、自分自身の報酬系が働くことを脳が予測したと云うことなのでしょう。

例えば、クレームをつけることで、社会に貢献したという無意識下の情動が生じる事に対する期待なのかも。よくわかんないですけど。

それを論理的に理屈をつけて修飾していくと、「山の環境が壊れたのは人間社会の性なのに、困って降りてきた熊を一方的に駆除するのはかわいそうだ。」とかですね。


実にくだらないです。



ちなみに熊というのはかなり強いです。

当たり前ですけれど。

人が襲われたらひとたまりもありません。運が良くなければ生身で襲われたら生き延びることは出来ないでしょう。

報道を見ると運のいい人も幾人かおられるようではありますけれど。


私、YouTubeでこの動画を見たとき、熊のタフさに驚愕しました。

出来たら出会いたく有りません。

人であれば、生きてはいないような事故ですが、元気に走って逃げてますね。


さて、多くの批判やクレームは、それを行った人の脳の報酬系が大きく働くことが予測されるので、無意識下で、批判をするとかクレームを入れるとか行った行動選択を起こすわけです。

その背景にあるものは何か?

そういったものに私は興味を持っているのです。

(^^)


ここに書いた文章は、批判或いはクレームに対する批判もしくはクレームと言えます。

なぜ私はこんなことを書いているのでしょうね。

昔、批判やクレームを受けることで不快だった経験があるのかも知れません。そういった経験は思い出そうとすればたくさんありそうです。(^_^;)

そういった事から報酬系が働きにくくなるのを阻止するために、こういった記事を書くといった行動選択をしているのかも知れません。

ただ、想像でしか無いのです。

脳の情報処理は自分自身では知覚できず、生み出された理屈は、本人が納得できるためだけに存在しているのです。



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