思うことがあるのです。
失行とか失認とかをアプローチが上手くいかないことの言い訳に使っているようなセラピストがまだおられるようですね。
現代の脳科学は、運動機能と行為生成のシステムや認知機能のシステムが別々にそれぞれ単独で存在しているということには否定的です。
高草木薫先生は”身体性システムとリハビリテーションの科学1 運動制御”の中で、はっきりと「環境に適応できる運動機能を獲得することが高次脳機能を発達させる極めて重要な要素である。」と述べておられます。
高次脳機能障害があるから運動に関わるセラピーが上手くいかないというのは本末転倒です。高次脳機能障害と言われるものがあるのであれば、それを育てるために”環境に適応できる運動機能”を高めていくことが私たちにできる仕事で、私たちにしか出来ない仕事です。
前頭葉の運動機能を司る領域にも認知に関わる細胞群もありますし、頭頂葉の領域からも一次運動野に直接或いは多シナプス性に情報を送る領域もあります。そして、それぞれの領域は相互的に情報を投射している繊維も存在しているわけです。
繰り返しますが、基本動作能力と呼ばれる運動機能と周辺環境の認知は別々に存在しているわけではなく、さらに言えば認知→基本動作という逐次システムのみがあるわけではないのです。動作の中で周辺環境を知覚していくという情報処理もヒトには重要な要素です。
認知機能や記憶が悪いから基本動作能力に対してアプローチすることが出来ないというのであればセラピストとして駄目だと思うんです。特に急性期においては脳は混乱状態にあり、認知機能も記憶機能も運動機能も低下するのが当然です。
ヒトの脳の情報処理を自分の都合の良いように解釈して、自分の知識と手技の未熟さの言い訳に使ってはいけないと思うのですけどね。
脳の情報処理は解明されていないことが多いので、ある程度、色々な解釈かあってもいいのだと言うことを逆手にとるのはやめてほしいなと思います。
例えば、姿勢制御システムがあって、左足に荷重し左手で物品に触れ、右上肢が身体中心軸を超えて左空間で左手と共に協調された活動をするときになど、人は視覚で見た左の空間という物と身体からの固有受容感覚でその空間の存在の情報を統合し知覚するに至るとおもうのです。
己の未熟さを人に押しつけてはなりません。
己の未熟さと向き合わなければ越えられない壁はいつまでたっても越えられないのです。
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