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執筆者の写真Nagashima Kazuhiro

バイク乗りなら共感していただけると思うのですけれど


バイクに乗る時って、大きく分けて3つのパターンがあると思うんです。

ひとつはどこかに行くときに、「歩いて」とか「バスで」とか「車で」とか、なんで行こうかと考えてバイクに乗っていく場合。

(まぁ、脳の科学的な理解から言えば、バイクにまたがったとすると、悩んでいる時間もおそらくバイクに乗った方が脳の中では最大報酬が期待できるという情報処理がおこなわれていて無意識下で既にバイクに乗ることは決定しているのではありますけれど。一応、意志が関与しているかのように書いてみました。)


もうひとつは、バイクに乗りたくて乗ってしまう場合。この場合、目的は後で考えることになります。「どこかにいこうか?」とか「ちょっと遠いそば屋さんに行こう。」とか、「大山の紅葉を見よう。」とか。だけど、本質的にはバイクに乗りたいだけですので、その目的は場合によってバイクに乗っているうちに変わったりします。乗ってたら目的なんてどうでもいいんですね。多分。


あと、ちょっと特殊な場合として、バイクに乗ることを練習したいという場合も有ります。8の字をしてみたり、山道でくねくねと曲がるワインディングでひたすら走ってみたり。特殊と行っても結構な頻度でこういった感じでバイクに乗ったりしますけれど。


だいたいこの三つぐらいですか。わかんないけど。

職業でバイクに乗る場合はちょっと省いています。職業と言えばレーサーとか、郵便局、バイク系youtuberなどなどですね。


さて、バイクに乗るという事を「歩く」という行為に置き換えても同じような事が言えると思うんですよね。

目的なんてあってないようなもの。

ただ、脳が勝手に、脳の報酬系が働きやすい状況を求めているだけなのです。


元々歩行(移動)は生存機能に強く結びついています。地球が出来て生物が生まれ様々な形で生存し続けたのですが、動かない動物は擬態などの手法が無ければ死んでしまうわけです。

移動が出来ないという事は生物としての根源的な不安に結びつくのだろうと思いますし、逆に歩行が出来るというのは報酬系に結びついていると思うんですよね。


目的なんてどうでも良い。

ただ、歩きたい。歩けるようになりたい。

ただ、走りたい。走れるようになりたい。


そんな想いがあっても、普通だと思うんですよ。




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