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執筆者の写真Nagashima Kazuhiro

オッカムの剃刀

更新日:2023年9月13日


皆さん、オッカムの剃刀をお持ちですよね。

お持ちのはずです。

皆さんお持ちのオッカムの剃刀の切れ味は如何ですか?


お持ちなのにお持ちであることをご存じない方もおられるかも知れませんね。

オッカムの剃刀というのは、「必要が無いなら多くのものを定立してはならない。少数の論理でよい場合は多数の論理を定立してはならない。」という考えの基、必要ない情報をそぎ落としていく事を剃刀に例えたものです。


解りやすくたとえると・・・ちょっと違うかも知れませんが、「今日は何をしましたか?」という設問に対して、「今日は本屋さんに行きました。」という返答をしたとします。伝えるべき情報としては妥当ですよね。しかし、現実には、朝起きて着替えてトイレに行って食事を取って予定を考えて・・・などなど様々な事柄は伝えるに足らない情報であると判断して切り捨てた結果、「本屋に行った」という行為だけを伝える様な場合、本屋に行ったという情報以外はオッカムの剃刀によってそぎ落としてしまっているといった感じです。

まぁ、会話の中で、この様な会話があったとして、その人が朝に起きもせず(寝ていなかったとするとそういうケースもありますけれど)、トイレにも行かず食事も取らず服も着替えずに、本屋にいったのだと思う人はいないと思います。

まぁ、それはそうですよね。

だけど、論文とかを読むと、そういった勘違いをしてしまう人、オッカムの剃刀で様々な情報が切り取られて実験が行われているという事を忘れてしまう人も多い様な印象もあるのです。

例を挙げます。

脳卒中リハビリテーションの手法として、AとBがあるとします。

歩行機能の改善にむけてアプローチする場合、AとBのどちらが有効かという研究をしようとしたとしましょう。

それにむけて、母集団を選択していくことになります。同じ条件で無いと、比較できないですからね。

年齢は○○〜△△とし、性別は男性、病名は脳梗塞、発症部位は□□。損傷範囲は画像所見で××mm程度、発症からリハビリテーション開始までの期間はXX日、調査はリハビリテーションが行われる前の状態と、2ヶ月後の身体状況とでもすれば、公平な判断が出来ることになるのかも知れませんね。

そういった母集団のデータを集めることにしたとします。


今度はどの様なデータを集めるのかといった問題に直面します。

歩行と言っても幅は広いですよね。


歩行は移動のひとつの形態ではありますが、それだけではないのです。

歩行の基本的なところとしては、身体構造とともに、二足直立位でのバランス〜前庭感覚と身体図式、網様体脊髄路の反応などなどが成立している前提が必用です。

その上で、歩行誘発野(MLR、SLR、CLR)などが興奮して、脊髄のCPG というメカニズムと協調し、歩行運動が出力されていきます。

CPGとは脊髄で歩行パターンを出力するメカニズムで、広いところで一定のリズムで歩く様な場面では、脳は歩行に関わる多くの処理をCPGに依存し、そうすることで、脳は他の情報処理〜たとえば他のことを考えたりしながら歩行をするというマルチタスクを行うことが可能になっています。ちなみに、一歩目を踏み出す際の脳活動と、それ以降の脳活動ではCPGへの依存度が変化していますので、脳活同も異なります。

脳損傷の方は、歩行自体を無意識下に落とし込むことが困難ですので、歩行中に他のことをするのが苦手な人が多いです。

話しかけたら、一旦止まって話されることになることが多いですし、振り返る時も歩きながら振り返ることができる方は少ないのです。

さらに、移動手段としての歩行としては、階段や傾斜を登る/下るとか、水の中を歩くとか、強い風の中を風に向かって進む、強い追い風の中スピードを制御しながら歩く、段差を乗り越えるとかいったことも起きますよね。

段差を乗り越える際には、視覚認知による段差の高さの知覚と身体図式によって先行する下肢をどの程度持ち上げるかといった制御が必要となります。その挙げたパターンで同じ程度後ろ足を挙げて歩くのですが、ここには身体図式がとっても重要な動きになります。さらに、またいで一旦止まってしまう様な場合においては、それらの身体情報と障害物の情報などの条件、情報を一時的に保持しておく必要がありますので、ワーキングメモリーの関与も不可欠です。

他にも、自己表現としての歩行という要素もあったりします。

たぶんここに上げたものでも歩行のすべてを表しているかと言えば、違います。おそらくもっと沢山の要素に支えられているのが通常私たちが行っている歩行なのです。


ですが、研究をするに当たってこれらのすべてを要素として評価していくことはまず無理です。

オッカムの剃刀の出番ですね。

様々な要素を勘案し、重なる部分のあるものは集約したりしながら要素を切り捨て、研究できる評価対象に絞り込んでいきます。

ここでは、仮に、歩行スピードとか歩幅とか、歩行リズムに焦点を当てて研究をすることとします。


母集団と集めるべきデータが決定しました。

それらのデータを収集し統計処理を行っていくことになります。


ここで、やっと、Aという手法とBという手法で差があるのかどうかを調べることになります。

ここで、かりにAよりBの方が改善していたという結果が出たとしましょう。


その結果をどの様に表現したら良いでしょうか?

正確には、「AとBという手法の有効性を、母集団を年齢は○○〜△△とし、性別は男性、病名は脳梗塞、発症部位は□□。損傷範囲は画像所見で××mm程度、発症からリハビリテーション開始までの期間はXX日、調査はリハビリテーションが行われる前の状態と、2ヶ月後の身体状況において、歩行の機能としては、歩行スピード、歩幅、歩行リズムに焦点を与えて結果を求めた場合にのみにおいて、AよりBが優れていると考える事ができる。」

ということは言えるのかも知れないと思います。


しかし、もうおわかりだと思いますが、歩行機能のリハビリテーションとして、AよりBが優れているという事は言うことができません。オッカムの剃刀で決められた限られた母集団の中で、限られた要素を見た場合にそう言えると言うだけで、歩行機能のリハビリテーションにおいてBの手法が優れていると言うことは論理の飛躍が存在することになります。


こうやって書かれた論文を読んで、歩行のリハビリテーションにおいてAよりBが優れていると理解することは、

最初に例に挙げた、「今日は何をしました?」という設問に「今日は本屋に行きました。」と答えた人の行動について、この人は朝起きもせず、着替えも食事もトイレにも行かずに本屋にしか行っていないのだと判断することと等しい様な愚かな判断です。


そんな愚かなことでも、結構まかり通ってしまう様なディスカッションがあったりするのも事実ですよね。実際そのようなディスカッションによく巻き込まれていた記憶があります。


もし、そういったことを言っておられる人がおられたとしたら、酷く愚かな人か、実は知っているけど人をなにかしらの方向に誘導しようとしている〜科学を悪用しようとする人か、もしくは、すべてを知っていて、反面教師として極端な話をされておられる善人なのかのいずれかでしょう。


オッカムの剃刀。

皆さんの剃刀の切れ味は如何ですか?

もし知らない方がおられたのであれば、自分もオッカムの剃刀を持っていることを知って欲しいと思います。

もう知っている人が多いとは思いますが、そういった場合でも、相手がオッカムの剃刀を持っていないと勘違いすることもあるかと思います。

オッカムの剃刀は、すべての人が持っています。

そのことはきちんと意識しておく必要があるのだと思うのです。


蛇足ですが、オッカムの剃刀の一般的な注意点を3つ挙げておきます。 ・不必要として切り捨てたものも、存在を否定できない ・オッカムの剃刀は、真偽を判定できない ・何が必用かは慎重に判断しなければならない

よりよい研究と、それを利用した建設的な未来が見えてきます様に❗

(*^_^*)



写真は、北野武監督「この男、凶暴につき」より。武さんが歩く姿、好きなんです。

歩行の話題になると必ず頭のなかにうかんできます。(๑>◡<๑)

あ、そうそう、この情報も、オッカムの剃刀で色々削っています。ご了承くださいね。

m(__)m





「全体は部分の総和に勝る」 

     アリストテレス(紀元前384~322,ギリシャ、哲学者)


「何事もできるだけ単純な方が良い。しかし、単純にしすぎてはならない」

     アインシュタイン(1879〜1955,独,物理学者)


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