初めに書いておきますが、私はアフォーダンスのことに詳しくありません。
ですので、ほんの思いつき程度のお話です。
それをご理解の上、そういった話題も楽しめるという方は、この後に読み進めていただけると喜びます。
よくわからないのですよね。アフォーダンス。
本も数冊読んだだけですし。誰かアフォーダンスに詳しい人と話をした記憶もないですし。
Wikipediaで調べてみると、基本的には「環境が動物に対して与える“意味”のことである。”と記載してあります。
物品や形態などの環境的要因が行動選択をさせているという感じの意味だろうと思うのです。間違ってたらごめんなさい。(^_^;)
これは、まぁ音も含まれるのではあるだろうとは思いますが、大部分は視覚刺激による物と思われます。視覚を遮断した場合には環境のアフォーダンスは低下するだろうと思いますので。まぁ、視覚を遮断しても手は第二の目といったりされることがあるように、手で触れることで環境の情報を得ることができますので、アフォーダンスと言われる現象が消失するわけではないのでしょうね。
アフォーダンスという言葉は、物品などの環境刺激が行動を選択させているという側面において、環境に対する無意識下の行動選択を指していると思うのです。
これは、運動前野と基底核のループによる運動選択というメカニズムで説明ができます。
視覚や聴覚などの非接触空間環境情報、接触による空間環境情報、固有受容感覚情報など、様々な情報が頭頂連合野で統合された情報に変換されています。その感覚情報を作っているのは、身体の姿勢/運動出力なのではありますが、それらの姿勢/運動出力情報は常に頭頂連合野にリファレンスコピーを送り、頭頂連合野での情報統合に関わっています。
これらの統合された情報が、再び前頭連合野に運ばれると、それらの情報を元に大雑把にどのような行動をとるのかといったことが前頭連合野基底核ループで形成され、それが運動前野と基底核のループでどういった動作の組み合わせになるのかといった情報に変換されていくわけです。これらの情報処理は、おそらくZシステムです。意識の関与はありません。もしくは、意識の関与がなくても情報処理が行われます。
すると、姿勢/運動表象と外的環境の刺激が組み合わさって、今とりうる行動が選択される、あるいは提供されるということになります。
全くの私見ですが、意識というのは結局のところ記憶だと思っています。記憶によって注意の配分情報を変化させる、注意を向けたりそらしたり。そこが意識と呼ばれる物ではないかと思うのです。ですから、行動選択が先行していて、意識はその後、それを調整に入ろうとする場合があるといった感じ。ですから、意識が働く場合は、自然な行動選択ではなくなるといった感じです。
昔一緒に働いていたことのある人が、面白いことを書いておられました。今、その人は日本にはいないのではありますけれど。
ラマダンで、断食をされておられるとき。仕事帰りに無意識にパイナップルを買って食べてしまったそうです。口にパイナップルを含んだときに我に返ったとか。
低くなる血糖値、内臓からの空腹の感覚。外的環境の中で、パイナップルがあることを無意識下に知覚する。その後は基底核ループ。まだ、注意がラマダンであるという記憶にあれば選択した出力情報~パイナップルを買って食べるという行動選択に抑制をかけることができたのでしょうが、おそらくその人の内的環境・・・生命維持として何かを食べるという基底核ループの情報決定が強く、ラマダンの途中であるという記憶に能動的注意を払うシステム自体が抑制されてしまったのかもしれないですね。
また、逆に記憶から能動的に注意を向けることでうまくいく動作や行動もあることでしょう。
まぁ、本当に個人的にちょっと考えているぐらいのことなのではありますけれど。
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