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執筆者の写真Nagashima Kazuhiro

それぞれの立場

更新日:2022年11月29日



それぞれの立場

リハビリテーションの目的は色々な立場によって変わってくるようです。

ほら、同じ風景を見るときも立ち位置が変われば、また違った風景が見えているはずですよね。

ぱっと思いつく立場を箇条書きにしますね。


1)患者本人の立場。

2)患者家族の立場。

3)保険医療制度の立場

4)病院など施設の立場

5)医師の立場

6)PT/OT/STの立場


と、このくらいでしょうか。


それぞれにどんな特徴があるのか考えてみますね。

1)患者さん本人の立場

例えば、脳卒中になって片方の手足が動かなくなりました。座ることも結構大変です。急にそんな状況になったときに、人は何を望むのでしょうか?

解らないですが猛烈な不安があると思います。今までの生活が出来るのかとか、仕事のこと、家族のこと、恋人のこと。若い人にとって、収入がどうなるとかローンの支払いとか切実な問題ですね。なんとかなる、というかなるるようにしかならないのですが、めっちゃ気になるでしょう。子育て世代であれば、子供のこともとっても気になると思います。

できるだけ早く、以前の状態に戻りたい。そういう想いを持たれるのでは無いかと思うのです。そこには、楽に座れるようになりたいとか、麻痺した手足が以前と同じように動かしたいという気持ちが生じるものと思います。先ほど子育て世代のことをちらっと書きましたが、小さな子供であれば、また両手で抱きたいと切実に思うでしょうね。私ならとても強く願うと思います。

まぁ、様々な言い方をされるでしょうけれど、それの本質的なところは身体を以前のように使って色々なことがしたいという想いだと思うのです。しかもできるだけ早く。


2)患者家族の立場

基本的には患者さん本人の立ち位置と同じとは思います。

最初は以前のように戻って欲しいと願っておられても、それが無理だと思われたときに辛いけれど見捨てる方向へ、様々な葛藤を持ちながら決断されていく方もおられたように記憶しています。

場合によっては、患者さん本人より苦悩をかかえられている場合も有ったり無かったり。

多くはやはり以前の様に戻ることを期待される場合が多いと思います。

子供さんが不幸にも何かしらの障害を持たれた場合、最初は機能の回復を強く望まれますが、時間の経過が長くなると自立を望まれる場合も少なく有りません。子供より親が先に亡くなられるわけですから、長期的な将来を考えたとき、とにかく自立していないと安心できないのだとおもいます。


3)保険医療制度の立場

ここで、なぜ病院や医師とか、PT/OT/STの話を持ってこないかと言うとですね。病院ー医師ーセラピストは基本的に保険医療制度の指導によって大雑把な方向性を決定しなければいけないのです。急性期であれば早期に回復期に送る様にしないと病院の収入が減ったりしますし、回復期の病院では、最長6ヶ月以内に退院をしていただかないと収入が減ります。

なぜ、そんなことになっているかというと、日本における皆保険制度では国民すべてに医療を提供することが決められているからです。それは取っても大切な事です。大雑把ですが簡単に説明すると、医療保健制度では国民から保険料を集め、それを財源として国民に医療を提供できるシステムを作っているのです。だから、日本国民は格安で医療を受けることが出来るのです。海外では個人で保険に入っていないと、医療を受けた際の支払いで破産する方も多いと聞きます。日本ではそんなことが起きないように皆保険制度というシステムを構築したのです。

大切でしょ。

しかし、財源は限られているわけです。少子高齢化による収入の減少と高齢者の増加。高度医療などによる医療費の増加が引き起こされ、財源は圧迫されるわけです。

そんな中、全体に医療を提供するためには配分を変え、医療費全体を縮小させていく必要があります。

さて、そういった視点からリハビリテーション医療を見てみると、ともかく早く自宅などの地域社会に復帰していただき、医療保健制度から外れていただく必要があります。となると、機能的な回復と能力的な回復を天秤にかければ能力の回復に主眼を置くことになります。しかも少しでも早く!(その方が安く済むのですね)

その為の医療の構築のため、研究が進められ、どうすれば早く日常生活動作が自立するのかといったテーマでの科学的知見が必要となってきます。

そういった視点は、患者さんの、少しでも元の状態に近づきたいというきもちとちょっと違ってきます。元の状態に近づかなくても、日常生活動作が自立すれば良いじゃないかという視点ですね。

悪口に聞こえるかも知れませんが、そうではありません。すべての人にリハビリテーションを提供すると言うためにはとっても大切な事なんです。


4)病院など施設の立場

病院には理念があります。たとえば、以前勤めさせていただいていた松江赤十字病院の理念です。

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理念

わたしたちは、『人道』の赤十字精神に基づき地域の医療に貢献します。

基本方針

  1. 地域の基幹病院として、説明と同意に基づく「高度」「良質」な 医療を提供します。

  2. 急性期病院として保健・医療・福祉・介護機関との連携を進め、 最善の医療を行います。

  3. 救急病院として24時間地域の健康を守ります。

  4. 赤十字病院として災害救護に貢献します。

  5. 教育病院として次世代の医療人を育てます。

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とても素晴らしいと思います。

どの病院も基本的にはこういった理念があります。

ただ、こういった病院の理念を理解するときに気を付けた方が良いと個人的に思うのは、ここで言われる「高度/良質」な医療というものは、日本の皆保険制度における「高度/良質」な医療であると言うことです。そうで無いと病院経営は成立しません。病院経営が成立しなければ病院は事業継続が出来なくなり倒産することになります。そうなれば救える人達も救えなくなるわけです。(病院の経営状態というのは世間で思われているほど良くはありません。ですから、大きな病院も時折倒産していますよね。)

皆保険制度って本当に素晴らしい制度なのです。その制度のなかでそれをを維持させつつすべての国民に医療を提供する為には、皆保険制度の目指す方向をきちんと理解しておく必要があるのだろうと思います。

というわけで病院でおこなわれるリハビリテーション医療は、基本的に皆保険制度を存続させるように目標設定された医療であって、早期に能力の回復を改善させるための科学的な根拠に基づいた方針を持つことが多くなると言えるのではないでしょうか。

回りくどい書き方をしましたが、リハビリテーション医療において早期に能力の回復を改善させるための知識や技術と長期的に機能を回復させるための知識と技術は異なります。科学的な研究では、そこにまで踏み込んだ物はまだ見たことはありませんので、まだ科学的な裏付けはないのではあろうと思います。

異なるとまで言い切れないとしても、同じものでは無いという可能性は高いとは言えるでしょう。

病院の意向としては、病院の経営を持続しつつすべての方にリハビリテーションを提供するためには皆保険制度の示す方向である早期の自立〜退院(医療保健制度から離れていただくこと)に目が向いていることでしょう。

そうでは無い病院も知ってはいますが、数は少ないです。私の知るかぎりは。

運動機能の回復とは別に、患者さんのADLの早期の自立と病院から離れていただくこと。それが大きな目標のひとつとなります。


5)医師の立場

医師は・・・というか、病院に勤めるすべての職員、PT/OT/STも同様ですけれど、病院に雇われているわけです。ですので、すべての判断は病院の意向のバイアスを受けることになります。

ただ、多くの医師は患者さんを良くしたいという気持ちが強いのです。ですので、病院と自分の立場をよく見ながら様々な交渉(手段)をもちいて患者さんの希望を叶えたいと考えておられる医師もおられるのです。

そういった場合、医学的な知識と経験をベースに病院の管理部に納得していただける材料を準備しつつパラメディカルの調整をし、患者さんやご家族に説明、意向を確認しながら目標を設定することになります。しかしながら、リハビリテーションにくわしい医師ばかりではありません。むしろ余りご存じない医師も多いのです。ですので、リハビリテーションのことに関してはPT/OT/STの意見を聞きながら進めることになります。そういった意味ではとっても複雑な判断を要求される立場にあるのが医師です。

なかには病気のことだけを見て、転院/退院できる状況をつくることだけをして転院や退院を決めてしまうお医者さんもおられたりします。〜つまり、医学的なコントロールだけをしてリハビリテーションのことはお構いなしに物事を決めていかれるわけです。リハビリテーションの立場から考えればちょっとどうかと思うところもありますが、前述した保険医療体制のなかで病院を存続させるためには大切な判断と言えるのでは無いかと思います。保険医療体制の維持と、その中での病院の存続はすべての人にリハビリテーションを含む様々な医療を受けていただくための重要なポイントになりますからね。


6))PT/OT/STの立場

実はここにも様々な立ち位置があります。

患者さんを良くしたいと考えておられるセラピストも多いことでしょう。反面、医療保険のなかで生き残りをかけてとにかく保険点数を稼ぐことを考えるセラピストもおられます。

基本的には先ほど書いたように病院に雇われているので、病院収入をあげることは大きな目標にはなるでしょう。

保険医療/病院の評価基準として早期のADLの自立があげられるので、細かな機能を目標にするより代償的であってもADLの改善を目標におかないと、病院の評価は下がってしまうことになりかねません。そして早く退院していただかないと病院経営が困難になるわけです。脳の可塑性というものを考えると、まだ解っていないことも多いので長期的な視野に立つしかないのですが、その期間を保険医療制度で完結することは不可能です。

そういった理由もあって、残念ながら「麻痺した方はもう良くならないですから、良い方の手足で色々出来るようになりましょう。」と言った説明をしてしまうかたもおられるようです。「セラピースペースながしま」にはそういった方も時折来られます。また、病院に勤めていたときの印象ですが「次のところで確りやっていけばまだ良くなりますよ」というのも常套句であったりします。そこに、患者さんが良くしたいと思う気持ちはやはり少し希薄な感じがするんですね。どちらかというと、退院するまではみるけど、その後は関知しないというか。出来ないというか。そんなことに気をとられているより、患者さんを診てカルテを書いて書類をつくって保険点数をとれる様にすることで時間がいっぱいいっぱい。そういった職場も多いことでしょう。申し訳程度に病院同士で添書や退院報告書のような書類上のやり取りをしていますが、まぁその程度です。


ざっとそれぞれの立場を、思いつくままに書いてみました。

結構、立場が違うとみえるものも色々違うみたいでしょ。

一概に「治療をする」とか「よくする」とか「よくなる」と言った言葉にも、”何処の何をどのように”といった点ではそれぞれに違うのです。

そこを理解しておかないと、それぞれの意思疎通はとっても難しいだろうと思います。


まぁ、だからこそ保険外のリハビリと言った事業が必要とされる場面があるのだろうと思っています。当然保険外には保険外の問題点はあります。価格が高いとか、取りあえず、一度のセッションでなにかしらの変化を起こさなければ継続してきていただくことが難しいとか。(だからついつい一番変化が起こしやすいところに手を出してしまうとか(^^;)

ただ、出来るだけ当事者の立場に近いところから物事を考えて行く様にするためには、保険医療制度を離れる必要はあるのです。


最後に、勘違いされては困りますが、なにかを良いとか悪いとかいっているわけではありません。

それぞれの立場の意見はそれぞれにあって当然ですし、それぞれに大切なものだと思っています。

そして、これは私の私的な印象です。

あれ?と思われたり、違う!と思われる方も多いことでしょう。

そういったときには是非、ご自分で色々調べてみてください。

それが最も科学的な分析のための姿勢ですし、それぞれの真実にたどり着くための有効な方法でもあるのです。


11月26日 追記

ちょっとたとえ話を追加しておきます。

障害受容というものが出来ていないと問題点にあげる場合があります。私はしませんけれど。

例えば、病院のリハビリテーションで「手が良くなりたい」と言い続ける人がおられたとします。

動物は恒常性を持とうとしますので、現在の日本という社会のなかで変化したコスメティックな側面や失われた機能的な側面を元に戻したいというご希望を持たれるのはむしろ正常な反応では無いかと思うのです。

もちろん、野生の動物であるとか、戦時中であるとか言った条件のなかでは動きを引き出すことより命を守るための適応手段として代償的だろうがなんだろうが動作をおこなうことが出来るようになると言うことが大切です。

しかし、ここは日本であって、私たちは人であって、戦争中でもありません。


反面、病院の立場から言えば、一刻も早く日常生活を自立していただいて退院、もしくは転院していただくことが大切になってきます。

そんな中、日常生活動作の訓練より、手の動きをなんとかして欲しいと言われるようなときに病院の立ち位置から言えばそれは早期ADL自立を目標にしたリハビリテーションの阻害因子となります。で、「障害受容に問題がある」と言った判断をする場合も少なくは無いでしょう。

そのような場合、そこに、手の機能が回復するかどうかの判断基準は希薄です。

そこに存在する判断基準は、早期にADLが自立しうるかどうか出会って、手の機能は二の次になる場合も有るのです。

この様な場合、患者個人としてみれば納得でき、正常と思われる反応であったとしても、「障害受容の問題」という問題点として表現されてしまったりします。

さらに、障害受容という言葉を問題として考えるのであれば、脳の損傷が起きたわけですから、そもそも脳の中の情報処理系、特に報酬系が働くかどうかと言うことや、睡眠や栄養状態などの脳の環境を適正にするための事柄が十分満たされているかどうかなどは検討しておく必要があります。だけどそういった事が適正に検討されることは少ないのでは無いかと思います。

個人的な意見ですけどね。

障害受容は問題として考えるべきでは無いだろうと思うのです。

もし問題として考えるのであれば、上記のことやその他のことを十分に考慮し、なぜ障害受容に問題を抱えておられるように私たちが感じてしまうのかと言うことを考えるべきなのだと思います。

立場によって見え方は異なるのですから。

٩( ᐛ )و




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