top of page
執筆者の写真Nagashima Kazuhiro

いんすぴゼミ_2022年1月31日



前回の要約から始まります。

肉体など必要か?毛内先生の疑問は脳だけ研究すれば脳が理解できるのか?と言うことだとおっしゃってました。

勉強すればするほど脳と体は分けることができないと思い出したそうです。

人間は機能的なサイボーグであるという話から始まってます。難しい話ではなく、靴や服やめがねなどもそうで、体に機能を付け加えることで生きてきています。しかし、脳に機能を付加しようとすると人は拒否感を示し出します。それはなぜなんだろうかという話題です。

人工内耳、人工網膜などで音や光を脳に届けることができます。ロックドインなども脳の出力を拾ってコンピューターでモニターを操作するとかできるようになっています。それらをBCI(ブレイン-コンピューターインターフェース)と呼びます。


さて、今回の章「BCI技術の発達」です。

BCI技術は1991年に始まります。コンピューターも脳もどちらも電気で機能するわけですが、コンピューターチップのシリコンは電子が電荷を運びますが、脳の中ではイオンがその役目を果たします。この両者をつなぐ技術が必要でした。これに成功したのは1991年でヒルのニューロンと絶縁したトランジスターをつなぐことに成功したそうです。この技術は、「ブレインゲートシステム」と呼ばれる技術に発展し、2004年に事件に巻き込まれ首を刺されて四肢麻痺となった人に対して、2007年に96個の電極を持つインプラントを埋め込こみました。彼はこれを使って、想像するだけで電子メールのダミーを開いたりペイントソフトを使ってモニターに丸を書いたりテレビの音量やチャンネルを操作したり簡単なテレビゲームができるようになったようです。また、見るだけでロボット型の義手のような物も操作できたと書いてあります。


素晴らしいですね。なにもできなかった人が、環境に対して働きかけることができるようになるということは、きっとその人の情動を安定させるのにも役立ったことでしょう。私はここで、意識がどのように関与したのかということがすこし気にはなりますが、脳自体はかなり可塑性のある臓器ですので、出力や意識の事などはなんとか左脳がつじつまを合わせてくるのでしょう。


これらの技術にも問題点はあります。最も大きな問題はこうしたシステムがフィードバックのないオープンループシステムであるということです。自然に四肢を使おうとすればフィードバックシステムが必要となります。実際、運動系が送り出している情報の約10倍の情報を感覚系は脳に送り返していると書いてあります。


自分の手のようにロボットアームを使うためには、ロボットアーム自体に感覚受容器の代わりとなるセンサーをつけて、その情報を脳の適切な部分にフィードバックさせる必要がありそうですね。視覚のフィードバックもありますが、視覚のみで制御するのはかなり難しいのでは無いかと思います。


で、その次に考えられたのが、目的をそのまま外部の装置に伝えた方が楽なのではないかという考え方のようです。確かに、こっちの方が簡単そうです。手足を思うように動かすことより、「コーヒーを飲む」と言う目的が伝えられ、機械がそれに答えるようにする方が手足を意識的に操作していくより本人の負担も外部機器上の難しさも解決しやすそう。


脳の働きを外部に伝える方法は、チップを脳に埋め込む以外にないのかという事も考えられてきています。埋め込みには感染のリスクや手術の負担、その他多くの問題を抱えていることは想像できます。そして、考えられたのが脳波を利用する方法だったそうです。

このシステムの被験者は、「完全にリラックスしているときが最もこのシステムが使いやすくて、頑張りすぎたり、他のことに思いがいっていたり、緊張しているとあまり上手くいかない」と述べておられるようです。

うん。脳卒中のリハビリテーションと同じですね。リラックスしすぎもどうかとは思いますが、適切なステイトのコントロールは運動学習には欠かせませんから。

毛内先生のところでも、ゲームのマリオを脳の出力で操作するような実験を学生さんがされているそうですが、なかなか上手く操作ができないそうです。そりゃそうかなと思ってみたり。私など自由に使える手でも難しいですからね。


現在、ロボットに意識を持たせる試みが行われているようです。

毛内先生が話しておられて気が付いたのですが、例えば、車の自動運転などは環境をセンサーで読み取って反応させるということはできていますが、予測はあまりしないですよね。前の車すこしふらふらしていて危なそうだから車間距離を取っておこうとか、子供の集団が歩いているからきっと登下校の時間で、どこに子供がいてどんな動きをするか解らないからすこし右に寄っておこうとか。

それらのことは記憶をベースにしています。その記憶のベースは自己と環境、他者を分別した状況で記憶された物ですから、自己意識が必要となるわけです。

より安全な自動運転自動車をつくろうと思えば意識が必要であるという結論が出てもおかしくありません。例えばの話ですよ。


で、現在、日本で2体のロボットをつくり、1体にある一定の動きをするようにプログラムをします。で、もう1体がそれを模倣できるかを見たようです。で、模倣はできたようなのです。模倣ができるということは相手の動きを知覚したということになります。ですので、自分ともう1体という知覚が成立していると考える事ができるようです。

ずっとこのいんすぴゼミの感想シリーズを読んで頂けているか、この本を既に読まれた方、或いは意識に対する知見を既にお持ちの方はピンとこられていると思いますが、自分と他者を分けることができるのは中核意識ですね。

たぶんこの調子だとロボットが延長意識を持つことも遠くない未来のことなのかもしれません。


頭の中をターミネーターがよぎってしまうのは私だけではないでしょう。


ともかく、科学技術という物は脳を模倣したコンピューターをつくり、それに動きを与える部品を付け足しはじめています。

脳だけではなく、体も作り始めたということになるでしょう。

結局、最初に思ったとおり中枢神経系と身体というのは両方でひとつの物なのだろうという気がしてきます。


閲覧数:24回0件のコメント

最新記事

すべて表示

Comments


bottom of page