まずはじめに今までの話のまとめから。
「人間とはなにか」という本をずーっと読んできて、結局、脳は何をしているかという話です。読んでいて解ってきたのはわれわれが普段している意思決定などはほとんど自動的に行われていて、自由意思が介在しているということはほんの少ししかない。自動的に行われた意思決定が左脳の働きで解釈されて、あたかも自分があらかじめ計画したように都合良く理解していく。これはガザニガが分離脳の患者を観察し、調べたところ右脳と左脳がまったく異なる価値基準で情報処理されていて、左脳の解釈によって感情や自己意識が生じていると解釈している様です。感情や自己意識は副産物にしか過ぎないのだろう。意識は動物にあるのかという点では、やはり中核意識はあるけれど延長意識はないのではないかという考察。
創発と言われる一つ一つの小さな性質が集合としてみるとひとつの意識を感じる動きを作るようなものは全体として意識が生まれていると言えるけれど、自己意識(延長意識)は存在しないのではないか。(話をお聞きしながらワタワタ打ったので日本語としてちょっとおかしいところは勘弁してください。)
脳がなんのためにあるのかが解らなくなってきた。とおっしゃってました。
と言うまとめの後に、第9章「肉体など必要か?」と言う話題へ。
ファイボーグという言葉が出てきます。ファイボーグ(機能的サイボーグ)とは、テクノロジーによる付加物によって機能を補足された生物をいうそうです。靴などはテクノロジーの産物であって、靴のおかげで砂利の上を移動したり、足を棘から守ったり、冷たすぎたり熱すぎたりする地上から足を守って移動できるようになったわけです。ですので、数千年前から人類はファイボーグだったわけです。
現在、テクノロジーは神経インプラントも可能にしてきています。最も成功している神経インプラントは人工内耳だそうです。
神経系のインプラントー神経プロテーゼ(補綴)に関しては文化的な側面などから様々な議論があるようです。確かに、人工網膜などが進化し、通常の視野を得るほどのテクノロジーとなったときにそれに付加的に与えうる物として赤外線などが可視化できると透視などにも使えますし、戦争などの夜間作戦などにも利用されてしまいそうですね。
こういった神経プロテーゼを理解するためには、人が電気で動くことを理解しなくてはならないとしてあります。ここのあたりは毛内先生の得意な分野なのではないでしょうか?
神経インプラントには様々な可能性が在ります。本の中で紹介されているのはロックドインシンドロームにたいする研究です。ロックドインシンドロームの患者さんに対して脳の左手の運動野に電極を固定し、患者さんが左手を動かすことを想像するとコンピューターが脳の中の信号を解析してモニター上のカーソルを動かすという実験に成功したそうです。今ならもっと複雑なこともできそうですよね。
ただ、この実験のことを読んでいてふと思うのは、「左手を動かすことを想像させる」という事です。実際に左手を持ち上げようとかそういった想像をするのか、それとも両手でコーヒーを飲もうとかそう言った想像なのか?もしくは目の前にコーヒーの入ったカップを置くといった刺激なのか?これは意識の関与がどの程度動き(運動野の興奮)に関わっているのかが解らないので、なにかしらの工夫が知りたいところではあります。あ、そもそも一次運動野なのか高次運動野のどこかなのかという事も有りますね。運動前野腹側F5領域などだとミラーニューロンなどの関与もありそうですから、手の動きを見せるだけでも興奮していそうです。
こういった研究はブレイン-コンピューター・インターフェース(BCI)と呼ばれるそうです。人工内耳などとの違いは情報入力するのではなく、脳の出力情報を取り出すところのようです。
で、次回は「BCI技術の発達-ゲームへの応用まで」という話題になります。ゲーム好きの私としては楽しみです。
(*^_^*)
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