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いんすぴゼミ_12月13日

執筆者の写真: Nagashima KazuhiroNagashima Kazuhiro


今回は意識はどのように生まれるかという章です。

本文より

「意識の問題は、神経科学者達の究極の研究目標、いわば伝説の聖杯のようなものだ。」

フフ。期待感が高まりますね。(*^_^*)


意識は出しゃばりで目立ちたがり。何でも自分の手柄にしたがるという話が少し出ていました。

毛内先生の説明では、「例えば、私たちは野球のボールが飛んできて避けたときに、後で振り返って「ボールが飛んできて怖いと思って避けた。」と解釈するのですが、実際はまず避けてから、その後ボールを見て、しかもその後心臓がドキドキしていて。それらが言語化されてボールが来て怖かったので避けたと思ってるに過ぎない。」

ですから、意識というのは行動の後付けなのですが、いったんそう思うと自分がそう考えて動いたと理解してしまうのでしょうね。いちいち考えて動いていてはボールが体に当たってしまうのでおそらく避ける処理は非意識化で自動的におきているにもかかわらずそう考えてしまうのです。たしかに出しゃばりで目立ちたがりですね。脳卒中の運動などを見ていても同じ事を感じることがあります。

通常、意識のレベルは、低い方から「非意識」「意識」「自己認識」「メタ自己認識」に分けられるそうです。ダマシオはそれらをさらに整理して「中核意識」と「延長意識」に分類したようです。

中核意識はどうやら覚醒の状態を指すようです。そして、延長意識は注意や認知の関わりです。

中核意識には脳幹から視床への投射によって視床が覚醒のモードに入ることが大切です。そして延長意識というのは前脳基底部、マイネルト基底核から大脳皮質全般にAch投射が起こるメカニズムによる働きのことを指しているのだと思います。


ダマシオによれば帯状回皮質が損傷すると、中覚意識と延長意識に障害が出現します。どうやら、視床から帯状回皮質への投射と大脳皮質全般から帯状皮質への投射が起こることが中核意識と延長意識に重要なようです。

延長意識が必要な課題を要求されると前帯状回皮質から、記憶、知覚、運動行為、評価、注意の5つのネットワークと関連領域が活性化すると同時に、背外側前頭前皮質も活性化するそうです。

面白いのは、この背外側前頭前皮質には人間と大型類人猿だけが持つ紡錘細胞という長距離接続を可能にしている独特の細胞が存在しているそうです。このニューロンは皮質の第Ⅱ層と第Ⅲ層に始まる細胞で、この第Ⅱ層と第Ⅲ層は背外側前頭前皮質と下頭頂皮質で暑くなっているそうです。これは、上縦束ではないでしょうか?

とすると、この延長意識と言われる物が成立するには、視床〜帯状回皮質投射と背外側前頭前皮質〜帯状回前皮質の相互投射(ループ)が重要で、背外側前頭前野は上縦束によって下頭頂皮質(おそらく頭頂連合野)と上縦束によって相互に投射することで背外側前頭前皮質が持つ機能モジュールと下頭頂皮質の持つ機能モジュールが統合される必要があると言うことになります。(背外側前頭前皮質の持つモジュール(機能単位)や下頭頂皮質の持つモジュールはさらに他の要素的なモジュールと関連を持って統合された情報処理を行っていると思います。)


しかし、何でもかんでも意識に上ってくるわけではありませんよね。多種多様の情報を意識に上げて情報処理が必要だとすると変化する環境に

素早く反応することは出来ません。環境適応のためには必要な情報を選択して必要なタイミングで処理する素早い情報処理が必要です。

だとすると、必要な情報を選択するシステムがどのような物かと言うことをしる必要がありそうです。このシステムは「注意」と定義されるようです。注意には能動的な注意と受動的な注意がありますが、ともかく非意識から意識に上るプロセスはどのような物かというのが次回の話になっていきます。


ほんと面白いですよね。人って。


この本には次のような表現が記載してあります。

「私たちの非常に二元論的な性質そのものも、意識のメカニズムを解き明かす上で障害になってきた。」

ふと思ったのですが非意識と意識とか、中核意識と延長意識というような分類は二元論的ですよね。もしかしたらこの分類その物が意識のメカニズムを解き明かす上で、私たちの思考に何かしらの制限を与えている可能性すら在るのかもしれません。

謎が謎を呼ぶ「意識」の難問題・・・


さて、個人的な印象ですが神経科学者が様々な知恵を絞って考えていても答えが明確にならない「意識」という物を、リハビリテーションでは安易にとらえすぎていると思っています。随意運動という意識的な運動のこともそうですが、高次脳機能障害と言われるものも同じで非意識的な情報処理に問題があるであろうにもかかわらず意識的な表出を一定の検査をして運動に関しては数値化したり、高次脳機能障害については症状名をつけてしまって理解した気になっている事が多いように思います。必要なのは状態をしるための知識とそれに基づく洞察、そして詳細な観察によって患者の置かれた状況を現在知り得る脳の構造や働きから推論を組み立てることだと思います。そうすれば無意識下に起きている情報処理に対してどのような事をしていくべきかという方向性が見えてくるのではないかと思うのです。

「わかんないから単純にしちゃえ」とか「わかんないから検査して名前つけたら(数値化したら)解った気になるじゃん」では全くダメだと思います。


次回は半側無視の話題が出てくるようです。

半側無視をガザニガがどのように分析しているのか?毛内先生がそれをどのようにとらえていくのか?

楽しみ。


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