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執筆者の写真Nagashima Kazuhiro

いんすぴゼミ_11月22日



今回のいんすぴゼミは音楽の話題です。

音楽にも、フラクタルに相当するものがあるそうです。それは「スケーリングノイズ」と言ってホワイトノイズに代表されるようなノイズにあるようです。ホワイトノイズとは単調に聞こえますが、非常に不規則なノイズで、1/fゆらぎを伴うノイズだそうです。

これらは、自然の音にもしばしばみられるとのこと。風の音や波の音などを想像したらなんとなく納得できるような気がします。

音楽も殆どが1/f揺らぎの範疇に入るらしいです。

そして、そう言った音を人は好むと…それって、絵(視覚)と一緒みたいですね。

やはり、生体として生存の為の好みということができるのかもしれません。

そして、そういった好みはオピオイド系物質を放出して良い気分になると言うことです。ドーパミンはこのオピオイド伝達を調整するらしく、報酬系にも関わってきてポジティブな情動を引き起こすことができるようです。

リハビリの最中にも音楽を流しておくといいかもしれませんね。

ただ、1/fゆらぎの質や程度によって眠くなっちゃったりする事もあるかも…


お話を聞いていて思ったのですが、結局風景と同じである一定の好ましい(脳が処理しやすい)情報はある程度の安全を示す情報として処理されているのかもしれませんね。

その中のノイズは知覚しやすいですし、ノイズは危険を示すサインとして処理されているのかもしれないです。

穏やかな鳥の鳴き声が急にざわついたらノイズとして知覚されて、「なんだなんだ?」みたいな関心を持ったり。そんな感じのイメージを持ちました。


音楽と言語は一部同じ神経領域を使うそうです。脳が予測しない「正しくない和音」を耳にすると、右前頭皮質の特定の領域と左前頭葉皮質でそれに対応する言語ネットワークの領域が活性化するのを発見した研究のことが記載してあります。

左のこの領域は、「散歩させた犬を公園で彼は」といった誤った構造のフレーズを聞いても同じ部位が活性化するそうで、結局処理しやすい好みの情報の中に紛れるノイズの発見に役立っていそうですよね。


幼少期から音楽を演奏する学習をしていると、さまざまな情報処理システム、例えば注意であるとか認知であるとか記憶などに「遠転移(多分、汎化)」して、知能が高くなるそうです。まぁ、情報処理システムを音から運動に繋げていくことと、エラー(正しくない和音など)の検出、小農経路などからの修正、学習などを報酬物質に基づいて行っていくことになるので、slfなど連絡繊維の結合は強化しそうですよね。


ところで、本文とは関係ないですが、虫の声は日本人には美しく聞こえますが、西洋人は雑音として知覚しているようです。この差はよくわかりませんが一説には、虫の声を日本人は優位半球で聞いていて、西洋人は劣位半球で聞いているそうです。

おそらく文化的な違いだと思うのですが、日本人は虫の声も生存適応のための情報として処理していたと言うことになるのかもしれません。農耕民族として発達した日本人と狩猟民族との差なのかと思ったりします。

日本人と西洋人の脳処理システムに差があると言うことになると、西洋の脳科学の研究と日本の研究では異なる結果が出る場合もありそうですね。


そして、話題は7章、「誰もが二元論者のように振る舞う」へ。

此処では、心と体は別という概念が正しいかどうかではなくて、「なぜ、人は心と体を別々のものとして捉えてしまうのか?」と言った疑問の話題のようです。

似たようなことはリハビリの世界でもよくあります。

姿勢と運動や、感覚と運動を分けたり認知と運動を分けたり。情報処理システムとして相互に関わっているので二つを分けることはできないことがわかっていても、普段の話では分けて話をしてしまったりします。失行と失認もいまだに分けて話をしたりしますよね。随分前に山鳥先生が失行失認としてまとめるべきだと提唱されておられましたが、未だに分けてしまっておられる人も多いようですし。

この章に入ってから、毛内先生がふと「脳の研究をしていて思うのは、脳の研究をしていても人のことは理解できないです。脳のことだけを理解しても、脳を理解したことに無ならないのではないかと思います。」と言ったようなことをおっしゃられていました。


私はモニターの前で、「うんうん」と頷いていました。

(^^;


写真はちょうど、音楽をガレージバンドで編集していたので、その時のスクショです。

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